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[[ファイル:Ludwika Maria Gonzaga.PNG|150px|right|thumb|ルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガ]]
'''ルドヴィーカ・マリア・ゴンザーガ'''(Ludwika Maria Gonzaga, [[1611年]][[8月18日]] - [[1667年]][[5月10日]])は、[[ポーランド王国|ポーランド]]王[[ヴワディスワフ4世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ4世]]の[[王妃]]。またその異母弟[[ヤン2世 (ポーランド王)|ヤン2世]]カジミェシュの王妃にもなった。[[イタリア語]]名マリア・ルドヴィーカ・ディ・ゴンザーガ=ネヴェル(Maria Ludovica di Gonzaga-Nevers)、[[フランス語]]名マリー・ルイーズ・ド・ゴンザーグ=ヌヴェル(Marie Louise de Gonzague-Nevers)。[[ゴンザーガ家]]の出身。妹[[アンヌ・ド・ゴンザーグ・ド・クレーヴ|アンヌ]]は[[ギーズ公]][[アンリ2世 (ギーズ公)|アンリ2世]]、プファルツ=ジンメルン伯[[エドゥアルト・フォン・デア・プファルツ|エドゥアルト]]の妃となっている。
 
[[マントヴァ公国|マントヴァ公]][[カルロ1世・ゴンザーガ=ヌヴェール|カルロ1世]]とマイエンヌ公女カトリーヌ・ド・ギーズの娘として[[パリ]]で生まれた。父の死後、[[オルレアン公]][[ガストン (オルレアン公)|ガストン]]と再婚した母に育てられたが、この結婚に反対していたフランス王[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]](ガストンの兄)により[[ヴァンセンヌ]][[要塞]]に幽閉され、後に[[修道院]]に入れられた。1634年に、マリアはヴワディスワフ4世から結婚を申し込まれたが、彼は間もなく[[神聖ローマ皇帝]][[フェルディナント2世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント2世]]の娘[[ツェツィーリア・レナータ]]と結婚した。
 
[[1640年]]、マリアは彼女の主催する文学[[サロン]]にやってきたヤン・カジミェシュ(後のヤン2世)と出会った。