「小尾十三」の版間の差分

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1939年(昭和14年)には朝鮮で元山商業学校教師となる。昭和17年には新京中央放送局に勤め、翌1943年(昭和18年)には森永製菓満州本社の経理課長となる。この頃に教師時代の回想を小説「登攀」として描く。「登攀」は「内鮮一体」の皇民化政策の時代風潮のもと、内地から赴任した主人公の北原邦夫が献身的愛を注ぐ朝鮮人生徒の安原寿善との関係が描かれている。小尾の友人である安倍一郎のすすめで翌昭和19年2月に京城帝大の同人誌『国民文学』に掲載され、同年12月には日本でも『文藝春秋』に掲載される。[[岩倉政治]]から賞賛され、岩倉は[[横光利一]]や[[川端康成]]らと芥川賞候補に推薦する。国家思想を意識した作品であることから評価され、同年上半期に[[八木義徳]]「劉廣副」とともに第19回[[芥川賞]]を受賞した。
 
その後は「雑巾先生」などを発表。1945年(昭和20年)には「登攀」や「雑巾先生」のほか「形見」「浪花節」などを含む単行本『雑巾先生』を出版。初版、再版がそれぞれ五千部ずつ刊行されているが現存するものは少なく、現在は小尾自身が持ち帰った一冊が[[山梨県立文学館]]に所蔵されている。戦後は19501947年に[[永井龍男]]社長、[[香西昇]]、[[式場俊三]]らの[[日比谷出版社]]に勤務したが倒産、50年に甲府商業高校教師となっている。1965年には書き下ろしで芥川賞作家シリーズ『新世界』を発表。「登攀」と同じく教師時代の回想を描く自伝小説で、「登攀」のテーマをより深化させ主人公津金と朝鮮人生徒崔聖亀との関係が描かれており、終戦直後の新京の状況が描かれた風俗小説的な趣もある。
 
著作は、没後出版に『ひとりっ子の父』があるのみであるが、未発表作品に『燈火』『長春』『怨恨』『赤軍進駐の周辺』『しつけ糸』『青い林檎』『青き大麦畑』などがあるほか、未題の自伝長編もある。
 
==著書==
*新世界 学習研究社, 1965(芥川賞作家シリーズ)
*ひとりっ子の父 第三文明社, 1981.10
*復刻版雑巾先生 中野書店, 1987
 
== 参考文献 ==
*白倉一由「小尾十三の世界」『甲府市史研究第9号』(1991)
*白倉一由「小尾十三の小説の展開」『山梨県史研究第10号』(平成14年)
*自筆年譜『芥川賞全集』
 
 
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