「マリア・アナ・ヴィトリア・デ・ブラガンサ」の版間の差分

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'''マリア・アナ・ヴィトリア・デ・ブラガンサ'''('''Maria Ana Vitória de Bragança''', 1768年12月15日 - 1788年11月2日)は、[[ポルトガル]]の王族。ポルトガル女王[[マリア1世 (ポルトガル女王)|マリア1世]]とその夫君[[ペドロ3世 (ポルトガル王)|ペドロ3世]]の間の次女で、スペイン王子[[ガブリエル・デ・ボルボーン|ガブリエル]]の妃。全名はマリア・アナ・ヴィトリア・ジョゼファ・フランシスカ・シャヴィエル・デ・パウラ・アントニエタ・ジョアナ・ドミンガス・ガブリエラ(Maria Ana Vitória Josefa Francisca Xavier de Paula Antonieta Joana Domingas Gabriela de Bragança)。
 
マリア1世女王夫妻の第5子次女として[[ケルス宮殿]]に生まれた。洗礼名は母方の祖母[[マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーン|マリアナ・ビクトリア]]王太后にちなむ。マリアナ・ビクトリア王太后が1777年に兄のスペイン王[[カルロス3世 (スペイン王)|カルロス3世]]とポルトガル、スペイン間の同盟について協議するため母国スペインに赴いた際、ヴィトリア王女とスペイン王のお気に入りの息子である[[ガブリエル・デ・ボルボーン|ガブリエル]]王子との結婚が取り決められた。ガブリエルはヴィトリアの従叔父にあたる。1785年4月12日に[[ヴィラ・ヴィソザ]]の公爵宮殿で新婦ヴィトリアのみの代理結婚式が行われ、ヴィトリアと新郎ガブリエルは5月23日に[[アランフエス王宮]]で初めて対面し、その後披露宴が催された。
 
ヴィトリアは夫ガブリエル王子が所有する[[エル・エスコリアル]]敷地内の居館[[カシータ・デル・インファンテ]]で暮らし、夫との間に3人の子供をもうけた。しかし第3子カルロス・ホセの出産直後の1785年11月2日に、わずか19歳の若さで亡くなった。生れたばかりのカルロス・ホセも母の死の一週間後に死に、そして夫ガブリエルも[[天然痘]]に罹患して同月23日には急死した。夫妻の3人の子供のうち長男[[ペドロ・カルロス・デ・ボルボーン|ペドロ・カルロス]]だけが生き残ったが、孤児のペドロ・カルロスは母方の祖母マリア1世の手元に引き取られて養育され、ポルトガル王家の一員となった。