「ガエターノ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ」の版間の差分

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(en:Prince Gaetan, Count of Girgenti03:04, 9 July 2010参考)
 
'''ガエターノ・マリーア・フェデリーコ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ'''('''Gaetano Maria Federico di Borbone-Due Sicilie''', 1846年1月12日 [[ナポリ]] - 1871年11月26日 [[ルツェルン]])は、[[両シチリア王国]]の王族。両シチリア王[[フェルディナンド2世 (両シチリア王)|フェルディナンド2世]]とその2番目の妻のオーストリア大公女[[マリーア・テレーザ・ダズブルゴ=テシェン|マリア・テレジア]]の間の第7子。フェルディナンド2世にとっては5番目の息子である。'''ジルジェンティ伯'''(Conte di Girgenti)の儀礼称号で呼ばれた。
 
ガエターノは1868年5月13日、[[マドリード]]でスペイン女王[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]とその夫君[[フランシスコ・デ・アシース・デ・ボルボーン|カディス公]]の長女[[イサベル・フランシスカ・デ・ボルボーン|イサベル・フランシスカ]]と結婚した。ガエターノは妻イサベルの両親それぞれと従兄弟同士であった。この縁組は、[[スペイン・ブルボン家]]が[[サヴォイア家]]の[[イタリア王国]]による両シチリア王国の併合を承認したことに伴って生じた、スペイン・ブルボン家と[[ブルボン=シチリア家]]の間の不和を収めるためのものであった。結婚に際し、ガエターノは[[インファンテ (称号)|スペイン王子(Infante de España)]]の称号を授けられた。二人の結婚後まもなく、[[スペイン立憲名誉革命]]が勃発して義母のイサベル2世は王位を追われた。
 
ガエターノと妻イサベルの結婚生活は不幸だった。結婚後2年の間、ガエターノは[[ウィーン]]などの大都市に住む親類縁者の元を訪ねて回る生活を送った。ガエターノは精神的に不安定かつ憂鬱症で、体が弱く[[てんかん]]の持病があった。ガエターノは何度か自殺未遂を起こしたうえ、1871年に[[スイス]]、[[ルツェルン]]のホテルの一室で拳銃自殺を遂げた。妻のイサベルとの短い結婚生活の間に子供は授からなかった。