「インペラトル」の版間の差分

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ギリシア語表記の脱字を補完。
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初見としては、前209年に[[イベリア半島]]を制圧した[[大スキピオ]]をインペラトルと叫ぶ歓呼が起こったとされているが、これは事実であるか疑われている。確実に確認されるのは前189年の[[ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス]]がインペラトルの称号を告示されている例である。
 
[[ポンペイウス]]がインペラトルと歓呼された事実を強調し、回数を重視するようになったという。一般には対外戦争に勝って凱旋式を行うことにより、インペラトルと歓呼された。帝政成立前の内乱期にはインペラトルは軍事指揮権と密接に関係していた。[[ユリウス・カエサル]]が[[独裁官|ディクタトル]]となりローマ軍の最高指揮権を単独で握るようになると、「インペラトル」を個人名として使った。アウグストゥスも「インペラトル」を個人名として使用したが、アウグストゥス以降の初期プリンケプスたちの場合はどちらかといえばカエサルとの個人的な血縁関係を示す「カエサル」号のほうが重要性が高いものだったと思われる。なぜなら[[ティベリウス]]、[[カリグラ]]、[[クラウディウス]]は「カエサル」と名乗ったが、「インペラトル」を名乗っていない。[[ネロ]]の時に「インペラトル」号は不完全ながら復活し、[[ウェスパシアヌス]]以降皇帝名の先頭におくようになった。インペラトルはプリンケプスの称号として定着し、皇帝を意味するにふさわしいものとなっていった。[[東ローマ帝国]]時代に入って[[ギリシア語]]が公用語となってからは、ギリシア語で同じ意味を持つ「'''アウトクラトール'''({{lang|el|αυτοκράτω}}αυτοκράτωρ)」が皇帝の称号として使用されている。
 
「インペラトル」は「カエサル」とともに、西欧語の「皇帝」を意味する言葉の語源であり、同じくローマ帝国時代に皇帝を指した「アウグストゥス」の語の影響がほとんど残っていないのと比べると対照的である。
* [[弓削達]]・[[伊藤貞夫]]編 『ギリシアとローマ 古典古代の比較史的考察』 河出書房新社、1988年。
* 南川高志 『ローマ皇帝とその時代』 創文社、1995年。
* [[長谷川ρ博隆]] 『古代ローマの政治と社会』 名古屋大学出版会、2001年。
* M.ロストフツェフ 『ローマ帝国社会経済史』 坂口明訳、東洋経済新報社、2001年。
* E.マイヤー 『ローマ人の国家と国家思想』 鈴木一州訳、岩波書店、1978年。
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