「フリードリヒ・フレーベル」の版間の差分
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以後、バンベルクの山林局で[[書記]]、測量師の助手、[[貴族]]の農場での会計など職を転々とし、1805年アントン・グルーナーの紹介でフランクフルト・アム・マインの模範学校の教師になる。このとき彼は23歳であった。学校教師になった後、1805年8月イヴェルドンにペスタロッチを訪ね、彼の実践と思想に強く影響を受け、1808年から2年間ペスタロッチのもとに滞在。
[[1811年]][[ゲオルク・アウグスト大学ゲッ
彼はまず[[ロマン主義]]の立場から、子供の本質を神的なものとして捉え、この児童観に基づいて受動的、追随的な教育を主張した。園丁が植物の本性に従って、水や肥料をやり、日照や温度を配慮し、また剪定するように、教育者も子供の本質に追随的に、その無傷の展開を保護し、助成するように働きかけなければならないとされ、そこから彼のKindergarten―幼稚園(子供達の庭)という名称が生まれた。
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