「マルガレーテ・フォン・ティロル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
3行目:
[[1330年]]、[[ボヘミア]]王[[ヨハン・フォン・ルクセンブルク|ヨハン]]の次男[[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]と結婚、[[1335年]]の父の死によりチロルを相続したが、[[神聖ローマ皇帝]][[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]がチロル貴族を煽動、ヨハン・ハインリヒは追放された。次いでルートヴィヒ4世は長男の[[ブランデンブルク辺境伯]][[ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]](上バイエルン公ルートヴィヒ5世)とマルガレーテを再婚させた。しかし、[[ルクセンブルク家]]派の[[教皇|ローマ教皇]][[クレメンス6世 (ローマ教皇)|クレメンス6世]]が介入し、ルートヴィヒ・マルガレーテ夫妻は[[破門]]され、ヨハン・ハインリヒの兄である[[カール4世 (神聖ローマ皇帝)|カール4世]]がルートヴィヒ4世の[[対立王]]となった。
 
[[1344年]]、ルートヴィヒ2世とマルガレーテの間には[[マインハルト3世 (チロル伯)|マインハルト]]が生まれたが、ルートヴィヒ4世が[[1347年]]に死亡した後は従兄の[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]][[アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世]]の働きかけで破門を解除され、マインハルトアルブレヒト2世の娘マルガレーテと結婚した。
 
[[1361年]]、ルートヴィヒ5世の死後マインハルト3世が上バイエルンとチロルを継いだが、[[1363年]]にマインハルト3世が[[夭折した著名人一覧|夭折]]、チロルに[[オーストリア大公]][[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]](アルブレヒト2世の子)が乗り込んで、マルガレーテを退位させてチロルを獲得した。上バイエルンはルートヴィヒ5世の弟・下バイエルン公[[シュテファン2世 (バイエルン公)|シュテファン2世]]が相続した。
 
1369年に[[ウィーン]]で死去した。ゲルツ家は断絶した(ゲルツ伯を継承した同族は健在)。
 
{{先代次代|チロル伯|1335年 - 1363年<br/>[[ヨハン・ハインリヒ・フォン・ルクセンブルク|ヨハン・ハインリヒ]]と共同統治<br/>(1335年 - 1341年)<br/>[[ルートヴィヒ5世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ5世]]と共同統治<br/>(1342年 - 1361年)<br/>[[マインハルト3世 (チロル伯)|マインハルト3世]]と共同統治<br/>(1361年 - 1363年)|[[ハインリヒ6世 (ケルンテン公)|ハインリヒ6世]]|[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]}}