「アクロタトス (クレオメネス2世の子)」の版間の差分

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'''アクロタトス'''([[ギリシア語|希]]:Ακρότατος, ラテン文字転記:Acrotatos, [[紀元前4世紀]])は、[[スパルタ]]の王族である。
 
アクロタトスは[[スパルタ王]][[クレオメネス2世]]の長子で、クレオメネスの次のスパルタ王[[アレウス1世]]の父であり、る。弟に王位を求めてアレウスと戦った[[クレオニュモス]]がいる。アクロタトスは父が[[紀元前309年]]に死ぬの生前に死んだため、クレオメネスの後の王位にはそのクレオメネスには孫にあたるアレウスがついた<ref>プルタルコス, 「アギス」, 3: </ref><ref>パウサニアス, III, 6, 2</ref>。
 
アクロタトスは[[紀元前331年]]の[[アンティパトロス]]率いる[[マケドニア王国|マケドニア]]軍との戦いで逃げ帰った者たちの名誉回復の命令に反対したため、対象の人々のみならず多くの人々の怒りを買い、身の危険すらあった<ref>ディオドロス, XIX,. 70</ref>。そのために、[[紀元前314年]]に[[アクラガス]]からの使節が[[シュラクサイ]]の[[僭主]][[アガトクレス]]との戦争のためにスパルタ人の[[将軍]]を送ってほしいという用向きでスパルタにやって来た時には、かねてより海外での行動を望んでいたアクロタトスは渡りに船とばかりに[[監督官]]の許しを得ずに少数の船と共にアクラガスへと出航した。しかし、風に流されて彼の船は[[アポロニア]]に流された。その地で彼はアポロニアを包囲していた[[イリリア]]王[[グラウキアス]]とアポロニアとの間に[[和約]]を締結させた。その後[[ターラント|タラス]]へ向かい、アガトクレスとの戦いへの助力を取り付けるとアクラガスに向かった。しかしアクロタトスはアクラガスで贅沢に耽り、暴虐な振る舞いをするばかりで何もしなかったため、アクラガスの人々は彼に対して謀反を起こそうとした。これを恐れた彼は密かにスパルタに逃げ帰った<ref>ibid , XIX. 71</ref>。その後の彼については不明である
 
しかしアクロタトスはアクラガスで贅沢に耽り、暴虐な振る舞いをするばかりで何もしなかったため、人々は彼に対して謀反を起こそうとした。これを恐れた彼は密かにスパルタに逃げ帰った<ref>ibid , XIX, 71</ref>。
 
== 註 ==