「ブラジルの映画」の版間の差分

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== 歴史 ==
ブラジルの映画は19世紀末にその歴史を遡り<ref>住田(2000:158)</ref>、1913年にフランチェスコ・サントスによって最初の長編映画『パナオスの犯罪』(1913)が製作された<ref>サドゥール/丸尾訳(1980:376)</ref>。1925年には[[サンパウロ市|サン・パウロ]]にシネクラブが創設され、1930年代にはブラジル[[サイレント映画]]で最も高く評価されている<ref>住田(2000:159)</ref>[[マリオ・ペイショト]]監督の『限界』(1931)が製作された。ブラジルのサイレント映画は[[ウンベルト・マウロ]]、[[アデマル・ゴンザーガ]]共同監督の『残酷な首枷』(1933)によって最後を迎えた。1930年代にはアデマル・ゴンザーガ監督、[[カルメン・ミランダ]]主演の『アロー・アロー・ブラジル』(1934)が国際的に成功した<ref>住田(2000:159)</ref>。
 
1940年代から1950年代にかけては[[ハリウッド映画]]が国内で影響力を保ったが<ref>住田(2000:159-160)</ref>、1950年代には国際的に評価を集めた[[リマ・バレット]]の『カンガセイロ』(1952)や、後の[[シネマ・ノーヴォ]]運動に繋がる[[ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス]]の『[[リオ40度]]』(1955)などブラジル映画が製作された。しかし、国産映画に比べて[[ハリウッド映画]]の影響力は圧倒的だった<ref>サドゥール/丸尾訳(1980:378)</ref>。