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ロバート・フルトンは、[[ペンシルベニア州]][[ランカスター (ペンシルベニア州)|ランカスター]]で生まれた。フルトンはアメリカ合衆国で肖像画家をしていたが、1786年に英国に渡り画家のベンジャミン・ウェストの弟子となった。産業革命による社会の変革期の英国で、彼の興味は絵から産業技術へと移った。運河の水位を関する機構や大理石切断用鋸に関して特許を取ったりした。
 
1797年、彼は[[ナポレオン戦争]]に沸くフランスへと渡った。フランス政府に世界初の手動式[[潜水艦]]であるノーチラス号を設計して売り込んだり、英国侵攻の為の兵員輸送用曳き舟として蒸気船を試作して売り込んだりもしたが共に失敗した。この時、知り合った[[フランス駐箚アメリカ合衆国大使|駐仏米国公使]] [[ロバート・リビングストン|ロバート・R・リビングストン]](Robert Livingston)から援助を受け、[[1803年]][[8月9日]]に船長31m、船幅2.4mで左右舷側に3.5mの直径の外輪(外車)を備える外輪船(外車船)を造り[[セーヌ川]]で試走させて、時速2.9マイルで流れをさかのぼる能力を示した。この実験結果を元に、フランス政府に重ねて彼の造る蒸気船の建造計画を売り込んだが採用されなかったため、1804年に英国に戻った。
 
英国でも良い成果が得られなかったため、1806年に母国アメリカへ戻った。ほぼ同時期に帰国したリビングストンから援助を受けてハドソン川の蒸気船を建造することになった。