「ハミルカル・バルカ」の版間の差分

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反乱鎮圧の後、ハミルカルの影響は強まり、彼の政敵は日増しに力を増す彼に抗する事ができなかった。この名声を背景に彼は自分の軍隊を募る。軍には[[ヌミディア]]などの各地からの傭兵を集めて訓練を施し、[[ヒスパニア]]へ出征してカルタゴ政府からの干渉を受けない自らの王国を築く事を決意する。新天地の開拓により、シチリア島を失ったカルタゴを支援できうると考えての行動であった。また遠征には息子[[ハンニバル]]も随行した。幼き日の息子ハンニバルを神殿に連れて行き、打倒ローマを誓わせた逸話は非常に有名。
 
8年間の遠征を経てヒスパニアでの支配を確立しようとしつつあり、拠点として[[カルタヘナ_(スペイン)|カルタゴ・ノウァ]]を建設中であったが、彼はその完成を見ぬまま戦死した。彼の遺志は娘婿の[[ハスドルバル (ハミルカルの娘婿)|ハスドルバル]]に継がれた。
 
==関連項目==