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'''メスティーソ''' ([[スペイン語]]:''Mestizo''、[[ポルトガル語]]:''Mestiço'') とは、[[白人]]と[[ラテンアメリカ]]の[[先住民]]([[インディオ]])の[[混血]]である人々。ポルトガル語ではメスチッソ、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。
 
== 概要・詳細歴史 ==
[[中南米]]のほとんどの地域では[[16世紀]]の[[スペイン]]侵略以降、混血が進んだ。初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。[[コンキスタドール]](征服者)がインディオの首長の娘と結婚し、その息子が父の後継者になることも可能であった<ref>国本伊代『メキシコの歴史』112頁、114頁。</ref>。
[[中南米]]のほとんどの地域では[[16世紀]]の[[スペイン]]侵略以降、混血が進んだ。征服初期は軍事活動に伴う[[コンキスタドーレス]]によるインディオ女性への大規模な強姦が頻発し、征服が一段落した後は強大な経済的、社会的権力を背景にスペイン人達が多数のインディオ女性を妾とし性的関係を持つことになる。[[南アメリカ|南米]]では、[[エクアドル]]・[[ペルー]]・[[ボリビア]]の[[アンデス山脈|アンデス]]の国々では比較的インディオの特徴が強いメスティーソが多い。これは、スペイン侵略まで[[インカ帝国]]という強大な国家があったことと、山岳地域という地形を利用して侵略者をある程度退けたり侵略者から逃げ回ったりできたということに起因するものと思われる。一方、[[チリ]]・[[アルゼンチン]]・[[ウルグアイ]]などの南米南部の国々では比較的白人の特徴が強いメスティーソが多い。南米最大の国である[[ブラジル]]の場合、スペイン人等によって[[アフリカ]]から[[奴隷]]として連れてこられた[[黒人]]が多かったことより、黒人の特徴を持つ人も数多くいる。黒人と白人の混血児は[[ムラート]]、黒人とインディオの混血は[[サンボ]]と呼ばれる。
 
しかし、征服が一段落し安定的な社会制度が形成された16世紀後半になると、人種を基準にした身分社会が形成された<ref>国本伊代『メキシコの歴史』114-115頁</ref>。メスティーソはスペイン人を父母とする者とはっきり区別され、スペイン人の親が持つ特権を受け継ぐことはできなかった。スペイン政府はインディオとスペイン人の生活を分離しようと努めたので、メスティーソは中間の身分として様々な職業についた。スペイン人とインディオの結婚は制限されたが、現実にはメスティーソの比率が増加の一途をたどった。なお、黒人と白人の混血児は[[ムラート]]、黒人とインディオの混血は[[サンボ]]と呼ばれた。植民地時代には、メスティソ男性と白人女性の子をカスティソというなど、細かな混血にそれぞれ呼び名があった。
「メスティーソとインディオの混血」や「ムラートとメスティーソの混血」などを細分化して名称をつける人もいるようだが、混血化が進んで何百年も経っている現在においてはそれはほとんど意味をなさない。また、「○○国の人口構成は白人○○%、インディオ○○%、メスティーソ○○%」というような表記がしばしばなされているが、混血が始まった頃からの戸籍管理がしっかりしている訳も無く、自己申告に基づく調査によるものと思われる。一説には、中南米には白人の血が全く混じっていない純粋なインディオや、インディオの血が入っていない純粋な白人はほとんどいないのではないかとすら言われている。このため、現代においては形質的・血脈的特徴でなくスペイン語を母語とする者をメスティソ、インディオの言語を母語とする者をインディオとして峻別する場合もある。
また、スペイン語を母語とする者は、人種的特徴の如何に関わらず、インディオと呼称されることを忌避し、メスティソと自己規定することが多いとされる。また、厳密にはメスティソであっても、白人の血が濃い者は白人と自己規定することが多く、これはメスティーソがインディオ的な形質よりも、白人的な形質に憧れる傾向があるためだといわれている。
 
メスティーソの比率が高くなり、インディオ旧来の社会が崩れてくると、非特権層としてのインディオとメスティーソの違いは曖昧になってきた。白人は特権を保持するために家系を重視したが、特権を持たないインディオとメスティーソにとって、何代も前の先祖のことはわからない。両人種の特徴を併せ持っている人はメスティーソでしか有り得ないが、片方の特徴が濃く出る場合にメスティーソか「純血」かは外見から判別できないのである。
それとは逆に、[[パラグアイ]]のメスティーソたちは自分たちのインディオ血統を誇るものがおおいともいう。これはスペイン人の征服当時から[[グアラニー人]]との友好関係が続いたことと、19世紀パラグアイにおける、国家的混血政策([[ホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア|フランシア博士]]ら)によるものである。
 
植民地時代の終わりごろから、メスティーソも父親が引き取って白人として育てればそのように遇されるようになったので、メスティーソと他人種の違いは、人種というより文化的な違いになった<ref>国本伊代『メキシコの歴史』115頁。独立後の中南米諸国には、メスティーソを国民のあるべき形としてたたえる思想が現れた。二つの人種に分かれた分断社会から、一つの国民を作り上げようとするナショナリズムである。19世紀には白人を至上としてヨーロッパ化を唱える思想も根強かったから、メスティーソ性の肯定には民衆文化の擁護創造の側面があったが、先住民の言葉と生活を守る人々にとっては同化圧力の強まりを意味していた。
 
独立後21世紀に至るまで、各国は移民を積極的に受け入れている。スペイン以外のヨーロッパ諸国からの移民は一世ならば白人だが、上流階級になるとは限らない。日本、中国などアジアからの移民も多いので、人種構成はさらに複雑になった。移民一世の多くはメスティーソではないが、以降は急速に通婚が進んでいく。
 
20世紀に入っても、「○○国の人口構成は白人○○%、インディオ○○%、メスティーソ○○%」というような数字が統計として流通しているが、中南米諸国は人種別の戸籍を備えていない。極端な誤りはないものの、パーセンテージは印象による推定で、数字そのものを信用すべきではない。自己申告にもとづく調査は、人種調査ではなく帰属意識調査と言うべきものである。スペイン語を母語とする者は、人種的特徴の如何に関わらず、インディオと呼称されることを忌避し、メスティソと自己規定することが多いとされる。また、厳密にはメスティソであっても、白人の血が濃い者は白人と自己規定することが多く、これはメスティーソがインディオ的な形質よりも、白人的な形質に憧れる傾向があるためだといわれている。ある人がメスティーソかインディオかは、知人によっても意見が割れることが珍しくなく、客観的な数字を得るのは不可能なのである。このため、現代においては形質的・血脈的特徴でなくスペイン語を母語とする者をメスティソ、インディオの言語を母語とする者をインディオ(先住民)とすることもある。
 
== 地域的な違い ==
[[中南米]]のほとんどの地域では[[16世紀]]の[[スペイン]]侵略以降、混血が進んだ。征服初期は軍事活動に伴う[[コンキスタドーレス]]によるインディオ女性への大規模な強姦が頻発し、征服が一段落した後は強大な経済的、社会的権力を背景にスペイン人達が多数のインディオ女性を妾とし性的関係を持つことになる。[[南アメリカ|南米]]では、[[エクアドル]]・[[ペルー]]・[[ボリビア]]の[[アンデス山脈|アンデス]]の国々では比較的インディオの特徴が強いメスティーソが多い。これは、スペイン侵略まで[[インカ帝国]]という強大な国家があり、もともと人口が多かったこと、山岳地域という地形スペイン人が植民化以前の支配機構そのまま利用して侵略者をあ、その上に乗っか程度退け形で支配しり侵略者から逃げ回ため、長くインディオ社会がそのままの自立性を保たりできたとことに起因するものと思われる。一方、インディオと白人が激烈な戦いを繰り広げた[[チリ]]・[[アルゼンチン]]・[[ウルグアイ]]などの南米南部の国々では比較的白人の特徴が強いメスティーソが多い。南米最大の国である[[ブラジル]]の場合、スペイン人等によって[[アフリカ]]から[[奴隷]]として連れてこられた[[黒人]]が多かったことより、黒人の特徴を持つ人も数多くいる。黒人と白人の混血児は[[ムラート]]、黒人とインディオの混血は[[サンボ]]と呼ばれる。
 
それとは逆に、[[パラグアイ]]のメスティーソたちは自分たちのインディオ血統を誇るものがおおともいう。これはスペイン人の征服当時から[[グアラニー人]]との友好関係が続いたことと、19世紀パラグアイにおける、国家的混血政策([[ホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア|フランシア博士]]ら)によるものである。
 
[[ペルー]]や[[ボリビア]]では、先住民やメスティーソのうち、[[インディヘナ]]的な文化、習俗を強く維持している人のことを[[チョロ]](女性は[[チョラ]])と呼ぶ。特に女性で、スペイン統治時代の名残を残す伝統的な衣装を着た人たちは[[チョリータ]](男性はチョリート)と呼ばれる。なお、チョロ・チョラ・チョリート・チョリータともに侮蔑的な意味を含むことがあるので、これらの言葉の使用には注意が必要である。
=== アフリカ ===
[[ポルトガル語]]圏アフリカ([[アンゴラ]]、[[カーボベルデ|カーボ・ヴェルデ]]、[[モザンビーク]]、[[サントメ・プリンシペ|サン=トメ・プリンシペ]]、[[ギニアビサウ|ギニア・ビサオ]]など)では、メスチーソ(mestiço)は[[黒人]]と白人の混血、つまり[[ムラート]]を指す言葉である。
 
== 歴史的なメスティーソの役割 ==
メスティーソはその起源ゆえに白人からは妾の子として蔑まれ、一方インディオからは征服者の血を引き継ぐものとして疎まれた。メスティーソは両者の中間にあってそのどちらでもない新たな民族集団として振舞うことが多かった。なお、メキシコではインディオがメスティーソを『[[マリンチェの子]]』(征服者[[エルナン・コルテス]]の[[妾]]となった先住民女性[[マリンチェ]]に由来)と蔑むことがある。
 
== メスティーソの多い主な国 ==
*[[メキシコ]]
 
== 関連項目脚注 ==
{{reflist}}
*[[インディオ]]
 
*[[ムラート]]
== 参考文献 ==
*[[メティス (カナダ)|メティス]]
*国本伊代『メキシコの歴史』、新評論、2002年。
*[[サンボ]]
*[[チョロ]]
*[[チョリータ]]
*[[人種]] - [[人種差別]]
 
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