「クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト」の版間の差分

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== 経歴 ==
=== 初期の軍歴 ===
[[メクレンブルク=シュトレリッツ]]大公国の高級官吏の息子として、軍人を輩出した古い貴族の家系にヒンリヒスハーゲンで生まれる。10歳で陸軍幼年学校に入学し、陸軍士官学校を経て、1898年に第3近衛歩兵連隊に准尉として配属される。同じ部隊に、[[ヴァイマル共和政]]時代に国防相・首相となる[[クルト・フォン・シュライヒャー]]がおり、二人は親しくなった。[[ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ]]将軍(のち1920年の[[カップ一揆]]に参加)の娘と結婚し、三男四女をもうけた。
 
1907年‐1910年の陸軍大学入学を経て、1911年に参謀本部付となる。1909年に中尉、1913年に大尉に昇進。[[第一次世界大戦]]中は参謀将校としてさまざまな部局(参謀次長副官、第7後備軍団作戦部長、参謀本部統帥局作戦部長)に配属。1914年には[[フランドル]]で中隊長を務め、[[鉄十字章]]を受章したこともある。1917年に少佐に昇進。戦後の[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]でも軍に残り、義父が率いる軍団の参謀となる。1920年、[[中佐]]に昇進し[[カッセル]]の第2軍管区作戦部長。1922年に[[ミュンヘン]]に駐屯する部隊で大隊長。