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{{節句}}
[[Image:Stone statue of kikujido.png|thumb|250px|[[惣宗寺]](佐野厄除け大師)境内にある菊慈童像、菊水を飲み不老長寿であったと伝えられる。]]
'''重陽'''(ちょうよう)五[[節句]]の一つで、[[9月9日]]のこと。[[旧暦]]では[[キク|菊]]が咲く季節であることから'''菊の節句'''とも呼ばれる。
 
[[陰陽思想]]では[[奇数]]は陽の数であり、陽数の極である[[9]]が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は陽の気が強すぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は一桁の数のうち最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである
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上記の菊を使った習慣の他に、茱萸(グミではなく[[サンショウ|カワハジカミ]])の実を入れた袋を肘に下げたり、郊外の丘など高い場所へ[[ピクニック]]に出掛け遠くを見る(これを'''登高'''と呼ぶ)ことが行われた。
 
中国で重陽が正式な節句として認められたのは[[前漢|漢代]]である。[[劉キン|劉歆]]による『[[西京雑記]]』に[[劉邦|高祖]]の愛妾であった[[戚氏|戚夫人]]が殺害された後宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が9月9日は宮廷では茱萸を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったことと人に話したことにより民間でも祝われるようになったとある。
 
[[唐|唐代]]の重陽は2日あるいは3日間にわたって祝われていた。これは[[李白]]の『九月十日即事』からもうかがい知ること出来できる。
 
== 日本における重陽 ==
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*[[松尾芭蕉]]の二[[俳句|句]]:
**草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒
**山中や 菊はたおらぬ 湯の匂  (『[[奥の細道]]、[[山中温泉]]の湯を賞賛して
 
==脚注==