「土屋篤直」の版間の差分

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享保17年(1732年)6月20日、第3代藩主・土屋陳直の次男として生まれる。享保19年([[1734(1734]])、父の死去により[[家督]]を継いで第4代藩主となる。しかし幼少のため、[[土屋亮直]]の佐を受けた。
 
[[元文]]3年([[1738(1738]])に20か条の触れを出して、[[年貢]]の完納化を義務付けた。また、[[株仲間]]の公認化や消防制度の強化を行なっている。[[延享]]4年([[1747(1747]])12月19日従五位下・能登守に叙任される。[[宝暦]]8年([[1758(1758]])6月14日大手御門番に任じられる。宝暦10年([[1760年]])11月28日[[奏者番]]に任じられる。[[明和]]2年([[1765(1765]])7月25日内桜田御門番に任じられ、明和5年([[1768年]])77月1日に桜田方火の番に任じられる。明和6年10月1日に[[寺社奉行]]に任じられる。しかし病弱だったといわれ、藩政は亮直ら家臣によって行なわれていたといわれる。
 
明和6年([[1769年]])10月1日に[[寺社奉行]]に任じられる。しかし病弱だったといわれ、藩政は亮直ら家臣によって行なわれていたとされる。
 
安永5年(1776年)5月20日に死去。享年45。跡を長男の土屋寿直が継いだ。