「カルパトス島」の版間の差分

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== 歴史 ==
古代から中世にかけてはロードス島と密接な関係にあった。古くは[[ホメロス]]の叙事詩『[[イーリアス]]』にも''Krapathos''として登場し、[[ウェルギリウス]]、[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス]]、[[ストラボン]]なども島について言及したことがある。[[ペロポネソス戦争]]では[[デロス同盟]]に追随したが敗れ、紀元前400年に自主権を失った。紀元前42年にローマの支配下に入り、ローマ帝国の分割後は[[東ローマ帝国]]に属した。1304年には東ローマ皇帝がジェノバの海賊であるアンドレアとロドヴィコ・モレスコに領地として与えたが、アンドレアは1306年にベネチア貴族のコルナロ家に入った<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。その後、コルナロ家は島を[[オスマン・トルコ帝国]]に明け渡す1538年まで支配した。オスマン・トルコ帝国支配下では島はひどく衰退していった<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。
 
1821年から22年にかけての[[ギリシャ独立戦争]]時には一旦は自主を取り戻したが、その後再びオスマン・トルコ帝国に支配された<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。1835年にはスルタン(国王)の[[マフムト2世]]が年間の一括払いだが世帯毎ではない「マクトゥ」という税制を導入した<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。オスマン・トルコ帝国による支配はその後1911年から12年にかけての[[伊土戦争]]でイタリアがドデカネス諸島を解放する1912年5月12日まで続いた。その日、島にはレッジーナ・マリーナ(イタリア王国海軍)の艦船「ヴィットリオ・エマヌエーレ」と駆逐艦「アルピーノ」が上陸した<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。その後、1923年の[[ローザンヌ条約]]によってドデカネス諸島は正式にイタリア領となった<ref name=be137>Bertarelli, 137</ref>。しかし、[[第二次世界大戦]]での[[枢軸国]]の敗北により1947年に[[パリ条約 (1947年)|パリ条約]]が締結され、翌年の3月7日にドデカネス諸島はギリシャに割譲された。
 
このように島は数奇な歴史を辿ってきたが、過去半世紀には熱心な開発が行われてきた。経済は戦争で荒廃したため、多くの島民がアメリカ東海岸に移住していった。島が恋しくなって帰ってきた人たちもいるため、今日のカルパトス島にはギリシャ系アメリカ人も多い。彼らは島に多額の投資をしたので、ピガディアなどの村々には伝統のなかにも新しさが根付いている。ほとんどの島民は島の北部にある山地を世界自体だと信仰により信じている。
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