「長征 (ロケット)」の版間の差分

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ソ連から中国への技術導入は[[ヤンゲリ設計局]](OKB-586)の技術陣によって[[1957年]][[12月24日]]から行われ、[[中ソ対立]]の進行によってソ連共産党指導部による技術陣の引き上げが完了する[[1960年]]6月まで2年半続いた。この期間は[[R-1 (ミサイル)|R-1]]や[[R-2 (ミサイル)|R-2]]、[[R-5 (ミサイル)|R-5]]といった[[V2ロケット]]系統のIRBMの技術移転が行われ、これらを国産化した[[DF-1 (ミサイル)|東風1号]](DF-1)型MRBMと[[DF-2 (ミサイル)|東風2号]](DF-2)型MRBMの開発が行われたのみであった。中国は技術陣引き上げ後にヤンゲリ設計局が開発した[[R-12 (ミサイル)|R-12]]型IRBMの技術移転を求めたものの要求は拒否されている。
 
このような背景から長征1号ロケットのベースとなったDF-3の計画は[[1964年]]から独自開発という形で開始されることとなった。しかし、DF-3で使用されたYF-1エンジンの燃料供給系はV2ロケット直系の構造であり、R-12のRD-214エンジンにおける[[ヴァレンティン・グルシュコ]]の手によるこの時期のソ連製エンジン特有の構造とは全く異なる構造である。
 
風暴1号、長征2号、DF-5はDF-3やDF-4と同様[[1964年]]から開発が開始された。独自開発したそれまでの2倍強の推力をもつエンジンを搭載し、構造材へアルミニウム合金を採用、デジタル式の姿勢・誘導制御装置の搭載、推進剤タンクの自己加圧など新規技術が多数導入されており、それまでの長征1号とは一線を画したものとなった。