「ヤハウェ」の版間の差分

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====エロヒムの訳語としての「神」====
<ref>本節の出典:[[柳父章]]『ゴッドと上帝』筑摩書房、1986年、120頁から131頁、ISBN 4480853014</ref>「[[神]]」の字が、ヘブライ語の"{{lang|-he|"אלהים"}}"または"{{lang|he|אלוהים}}"、[[ギリシャ語]]の"{{lang-grc|el|"Θεός"}}"英語の{{Lang-en|"God"}}の訳語に当てられたのは、近代日本でのキリスト教宣教に先行していた[[清]]におけるキリスト教宣教の先駆者である、[[ロバート・モリソン]]([[:en:Robert Morrison (missionary)|英語版記事:Robert Morrison]])による漢文聖書においてであった。しかしながら訳語としての「神」の妥当性については、ロバート・モリソン死後の[[1840年]]代から[[1850年]]代にかけて、清における宣教団の間でも議論が割れていた。
 
大きく分けて「'''上帝'''」を推す派と「'''神'''」を推す派とが存在したが、和訳聖書の最も重要な資料と推定される、モリソン訳の流れを汲む[[ブリッジマン・カルバートソン訳|ブリッジマン・カルバートソンによる漢文訳聖書]]は、「神」を採用していた。ほとんどの[[日本語訳聖書]]はこの流れを汲み<ref>出典:柳父章(1986)、160頁 - 162頁。</ref>、「神」が適訳であるかどうかをほぼ問題とせずに<ref>全く問題にされなかったわけではない。1938年にはキリスト教神学者[[前島潔]]が、「神」という用語について論文を書いている。出典:柳父章(1986)、122頁。</ref>、こんにちに至るまで「神」を翻訳語として採用するものが圧倒的多数となっている。