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{{改名提案|ヨラム (ユダ王)|t=Category‐ノート:古代イスラエル・ユダの君主|date=2010年8月}}
'''ヨラム'''は、[[ユダ王国]]の王である。偶像礼拝へ復帰させた王とされる。
 
==生涯==
[[ヨシャファト|ヨシャパテ]]の子で、父ヨシャパテファトを助けていたが、[[イスラエル王国|北イスラエル]]の[[ヨラム (イスラエル王)|ヨラム]]王の第5年目に32歳で即位した。
 
彼の妻は、イスラエルの王[[アハブ]]の娘アタルヤであった。妻にそそのかされて、ヨシャパテファトが要塞のある町に配置した兄弟6人を殺害した。ヨラムは主から離れ、アハブと[[イゼベル]]の信仰にならい、偶像礼拝に従っていた。父が除去した高き所を復興した。
 
ヨラムは主から離れ、アハブとイゼベルの信仰に習い、偶像礼拝に従っていた。父が除去した高き所を復興した。
 
[[ティール]]によると、ヨラムは北イスラエルで用いられていた非即位年方式の算定法をユダ王国に採用したと言われる。
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ヨラムの時代にエドムとリブナが南ユダ王国から独立した。
 
[[預言者]][[エリヤ]]は手紙を書いて、ヨラムを厳しく非難した。ヨラム罪の故にさばきが来ると言う警告を受けた。
 
[[ペリシテ人]][[アラム人]]がユダに攻め上り、王宮の全財産を奪い、王の妻子をすべて奪い去り、末子エホアハズだけ残った。
 
ヨラムは親戚だった北イスラエル王国の王に従ったので、神からの罰として内臓の病気になり、2年間苦しんで病没した。
 
彼の死を惜しむものはなく、彼はユダの王たちの墓には葬られなかった。
 
==参考文献==
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*[[サムエル・シュルツ]]、『旧約聖書概観』[[聖書図書刊行会]]、1974年
 
{{先代次代|[[ユダ王国]]の王|第5代:前853年 - 前845年|[[ヨシャファト|ヨシャパテ]]|[[アハズヤ (ユダ王)|アハズヤ]]}}
 
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