「山本左近」の版間の差分

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=== F1 ===
==== 2005年 ====
[[File:SakonYamamoto.jpg|right|220px|thumb|2006年イギリスGP]]
2005年10月のF1[[日本グランプリ (4輪)|日本GP]]で[[ジョーダン・グランプリ|ジョーダン]]のサードドライバーとして参戦し1日目午前のフリー走行1回目を走行し、レギュラードライバーよりも速いタイムをマークした。
 
==== 2006年 ====
2006年6月の[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]より急遽[[スーパーアグリF1チーム]]のサードドライバーとして参戦し、[[ドイツグランプリ|ドイツGP]]からは[[フランク・モンタニー]]に代わってセカンドドライバーとして参戦した

[[ドイツグランプリ|ドイツGP]]・[[ハンガリーグランプリ|ハンガリーGP]]・[[イタリアグランプリ|イタリアGP]]ではリタイアに終わるもラスト3戦([[中国グランプリ|中国GP]][[2006年日本グランプリ (4輪)|日本GP]][[ブラジルグランプリ|ブラジルGP]])では完走を果たす。なお、F1参戦に伴い、KONDO RacingとNISMOとの契約は解除された。
 
====2007年====
[[File:Yamamoto 2007.jpg|right|220px|thumb|2007年イタリアGP]]
[[2007年]]はBCN Competicionから[[GP2]]にフル参戦すると共に、スーパーアグリに残留しテストドライバーも務めた。ただ、[[ジェームズ・ロシター]]が同チームのテストドライバーとして参加してからはテストでも走行機会が無く、GP2への参戦とスーパーアグリの広報活動に専念していた。
 
しかし、[[スパイカーF1|エティハド・アルダー・スパイカーF1]]チームのレギュラードライバーであった[[クリスチャン・アルバース]]が同チームを解雇された後、その後釜として白羽の矢が立ち、第11戦より最終戦までのレギュラードライバー契約を結んだ。そのため、スーパーアグリはテストドライバー契約の解除に応じた。
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==== 2008年 ====
[[2008年]]2月、[[ルノーF1]]とテストドライバー契約を結んだことが発表された。ルノーのテスト開発プログラムを担当するとともに、レースチームに全戦帯同している。ルノーはすでに[[ルーカス・ディ・グラッシ]]および[[ロマン・グロージャン]]とテストドライバー契約を結んでおり、山本とのテストドライバー契約は3人目となる。なお、この契約の中には世界各地で行われるルノーロードショーと呼ばれるデモランイベントでのドライブも含まれていた。
 
2008年7月16日、GP2シリーズへの復帰が発表され、[[ARTグランプリ]]より第6戦[[ドイツ]]・ホッケンハイムから出走している。第7戦ハンガリー・[[ハンガロリンク]]のレース2で4位に入りGP2シリーズ初入賞。シリーズランキングは23位。
 
==== 2009年 ====
2008年10月1日、2008年-2009年のGP2アジアシリーズにメインシリーズで所属したARTグランプリよりフル参戦することが発表された。前年のチャンピオンチームから出走となり、エースカーであるカーナンバー1をドライブしていた。シリーズランキングは9位。なおこの年はF1チームとの契約及び参戦はなかった
 
==== 2010年 ====
[[File:Sakon Yamamoto 2010 Germany (cropped).jpg|right|220px|thumb|2010年ドイツGP]]
2010年4月17日に、[[ヒスパニア・レーシング・F1チーム|HRT F1]]とテストドライバー兼リザーブレースドライバー契約を結んだことが発表された。[[2010年イギリスグランプリ|イギリスGP]]では、レギュラードライバーである[[ブルーノ・セナ]]に代わり山本が出走することが発表された<ref>[http://f1-gate.com/sakon/f1_8275.html 山本左近、ブルーノ・セナに代わってイギリスGPに参戦] - F1 Gate.com 2010年7月9日</ref>。戦闘力が低い上に慣れないマシンために予選は24位と低迷したものの、2007年以来の決勝出走を果たし、20位で完走した。
また、[[2010年ドイツグランプリ|ドイツGP]]からは[[カルン・チャンドック]]の代わりに参戦することが発表された<ref>[http://f1-gate.com/sakon/f1_8395.html 山本左近、カルン・チャンドックに代わってドイツGPに参戦] - F1 Gate.com 2010年7月17日</ref>。
 
また、[[2010年ドイツグランプリ|ドイツGP]]からは[[カルン・チャンドック]]の代わりに正ドライバーとして参戦することが、マネージングディレクターのコリン・コレスより発表された<ref>[http://f1-gate.com/sakon/f1_8395.html 山本左近、カルン・チャンドックに代わってドイツGPに参戦] - F1 Gate.com 2010年7月17日</ref>。
==== 評価 ====
 
*2005年の日本GPでジョーダンのサードシートを得た際、いきなりレギュラードライバーを凌ぐタイムを記録したことや、その後、体制的に恵まれない状況が続きながらもそつなく走るなど、ドライバーとしての順応性の高さを評価する向きは多い。
==== 評価 ====
*2005年の日本GPでジョーダンのサードシートを得た際、いきなりレギュラードライバーを凌ぐタイムを記録したことや、その後、体制的に恵まれない状況が続きながらもそつなく安定したりを見せるなど、ドライバーとしての順応性の高さを評価する向きは多い。
 
*各カテゴリーにおいてチャンピオンを獲得するような圧倒的な速さなどは発揮していないものの、トントン拍子で上位カテゴリーへステップアップを遂げ、F1でも2005年からほぼ毎年しぶとくシートを獲得している。これについては、メーカーのサポートを受けている訳でもなく、主だった大きなパーソナルスポンサーを持っている訳でもないことから、マネージメント陣の能力の高さや自前での資金力による効果が大きいとの見方もある。