「スキャットマン・ジョン」の版間の差分

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Scatman T (会話 | 投稿記録)
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メジャーデビューアルバム『Scatman's World』は日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を飾る。自身の障害である[[吃音症]]を逆手に取った、模倣が困難な[[スキャット]]と、1回に4つ近く音の調子を変えるという珍しい歌唱法(このテクニックは古い[[ヒンドゥー教]]の喉で歌う物から取り入れた)を用い、唯一のジャンル『テクノスキャット』を開拓した。
 
== 吃音者としての経歴 ==
== 吃音者としての経歴<ref name="a"> Listen to the Scatmanの解説より</ref> <ref>[http://www2m.biglobe.ne.jp/~genyukai/scatman.html スキャットマン・ジョン氏に聞く ]</ref>==
<ref name="a"> Listen to the Scatmanの解説より</ref> <ref>[http://www2m.biglobe.ne.jp/~genyukai/scatman.html スキャットマン・ジョン氏に聞く ]</ref>彼は[[吃音]]から来るストレスをごまかす為[[アルコール]]や[[ドラッグ]]に溺れて行くようになる。
 
しかし、ある日、仲間のミュージシャンや友人のジョー・フェラルが[[ドラッグ]]により死亡してしまう。
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== ジャズピアニスト時代<ref name="a"/> ==
<ref name="a"/>ジョンは、子供のころから[[吃音]]を克服しようと努力してきたが、それは叶わず、彼はコミュニケーションの手段を[[言葉]]以外に探さなければならなかった。
 
14歳の頃から[[ジャズ]]に慣れ親しみ、[[ジョン・コルトレーン]]、[[チャーリー・パーカー]]から音楽的影響を受け、彼は[[ピアノ]]を弾き始めた。
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[[アル・ジャロウ]]、[[ジョー・ファレル]]、[[リッキー・リー・ジョーンズ]]等のアーティストと競演した経験も持つ。
== メジャーデビュー ==
 
== メジャーデビュー<ref name="b">1stアルバムScatman's worldの解説より</ref> ==しかし、折からの[[不況]]も手伝い、次第に貧しくなってしまったジョンは、妻ジュディを伴い1990年に仕事を求めて[[ベルリン]]へ移住。
しかし、折からの[[不況]]も手伝い、次第に貧しくなってしまったジョンは、妻ジュディを伴い1990年に仕事を求めて[[ベルリン]]へ移住。
 
そしてベルリンのホテルでエージェント、マンフィールド・ツェーリンガーと出会い、週1000ドルの仕事をすることになった。