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[[331年]]に生まれる。父親は将軍だった。軍司令官を経て[[執政官]]となり、[[サーサーン朝]][[ペルシア]]戦に従軍。この戦争で戦没した[[ユリアヌス]]は副帝を指名しておらず、また、適当な親族も残っていなかったので、軍隊によって363年に皇帝に選出された。糧食が乏しい状況で敵中に残されたヨウィアヌスは、ペルシア王[[シャープール2世]]と屈辱的和議([[アルメニア王国|アルメニア]]、[[メソポタミア]]の[[ティグリス川]]以東の放棄)を結び、撤退する。364年に[[コンスタンティノポリス]]への帰還の途中、火鉢によるガス中毒で死亡したと言われている。
 
 
 
 
 
== 参考文献 ==
* 松原 國師   『西洋古典学事典』      2010年   京都大学学術出版会 ISBN 4876989257
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
{{先代次代|[[ローマ皇帝一覧|ローマ皇帝]]|[[363年]] - [[364年]]|[[ユリアヌス]]|[[ウァレンティニアヌス1世]]}}