「東成警察署襲撃事件」の版間の差分

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'''東成警察署襲撃事件'''(ひがしなりけいさつしょしゅうげきじけん)とは、{{26年([[暦|1951年]])}}[[12月1日]]に、[[大阪府]][[大阪市]][[東成区]]で発生した事件。
 
== 事件の発端 ==
[[1951年]][[11月10日]]午後6時頃、[[大阪市警視庁]][[東成警察署]]の警察官が泥酔している[[在日コリアン韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]男性を発見、保護した。ところが保護後、男性の容態が急変し、治療の甲斐なく午後7時30分死亡が確認された。
 
[[司法解剖]]の結果、死因は[[肝臓]]が破裂したことによる多臓器不全であった。彼は泥酔しながら自転車に乗り、誤って転倒した時に身体を強く打ち、動けなくなったところを警察官に保護されたのであった。
 
翌日、遺族が署長は面会に訪れたので遺族に署長は事の次第を詳細に説明したが、朝鮮人は男性の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。
 
ところが、朝鮮人は彼の死を警察官のリンチによる殺害と決め付けて、一方的なデマを流し、東成警察署に抗議するようになった。
 
== 事件の概要 ==
[[1951年]][[12月1日]]午前11時頃、朝鮮人たちは旧'''御幸森朝鮮人小学校'''(今の[[大阪朝鮮第四初級学校]])に集まり、東成警察署までデモ行進した。
 
その後、気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁[[機動隊]]はそれを阻止した。その際デモ隊は、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が[[公務執行妨害罪]]で逮捕された。
 
== 参考文献 ==
* 『'''大阪府警察史 第3巻'''』(大阪府警察史編集委員会 1973年)
 
== 関連項目 ==