「柳生和紙」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 江戸時代 ===
江戸時代、[[福島県]]伊達茂庭村から招かれた4人の紙すき職人のほかに48戸の家で和紙づくりをしていたという。この付近の豊かな地下水と高舘山のふもとに吹き渡る風が紙すきに適していた。後には、近くの高舘村、熊野堂村、吉田村でも紙すきが行われ、生産量が増え、街でも紙を売る店が現れるようになり、柳生和紙が有名になっていった。その普及につとめた[[小西利兵衛]]の功績をたたえた石碑が今も柳生地区の[[柳生寺]](りゅうしょうじ)の境内に残されている。
 
=== 明治・大正時代 ===