「エピロス専制侯国」の版間の差分
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シメオンは皇帝を名乗ったものの単独での支配を諦めて自らはテッサリアのトリカラに宮廷を構え、エピロスを南北に分割して北の[[ヨアニナ]](ヤニナ)を娘婿のトマ・プレリュボヴィチに、南部は更にアルタとアンゲロカストロンに二分割して二人のアルバニア人族長に分け与え、それぞれに専制公の称号を授与した。
このセルビア人とアルバニア人による分割支配はすぐに相互の抗争によって解体され、テッサリアはギリシア人貴族フィラントロペノス家の手に移った後、[[1393年]]に[[オスマン帝国|オスマン朝]]に併合された。エピロス専制公国はオルシーニ家の血縁でケファロニア伯領を継いだトッコ家によって獲得・統一され、これが[[1449年]]のオスマン朝による征服まで続いた。
== 歴代エピロス専制公 ==
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