「ギャンブルレーサー」の版間の差分

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: 通称:'''ウリ'''。[[武蔵村山市]]在住の売良郎の次男('''一'''(ひとつ)から'''五'''(いつつ)までの五人兄弟・顔付きはみな同じ)。自転車での逃げ足が異常に速かったことに目をつけた関に、870円で売られる。当初はアワを吹いてばかりで自分の名前すら書けず、人形か赤ん坊相手にしか喋れないような「ぼやっとしたバカ」だったが、金作の詰め込み教育のおかげで、何とか[[大学入学資格検定|大検]]を合格し競輪学校への入学資格を得る。競輪選手としてデビュー直後は、観客から「ウリジ」などと読み間違えられながらも、持ち前の先行力で[[競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦|競輪祭]]で[[新人王]]のタイトルを得るなど、一線級の選手として活躍。関軍団の中で最初にGIレースで表彰台に登るが、後に優一や泡一の強さを目の当たりにして脚力の衰えを自覚し、マーク屋に転身する。家族は3人で妻・伸子(のぶこ)と長女・ちさこがいる(名前の由来は、売が出生届に「さちこ」を「ちさこ」と書き間違えた為)。2005年のオールスター競輪では、優一に続き決勝戦2着と力強さが復活した。普段まともに喋れないのは頭の血の巡りが悪いためらしく、(アルコールが入った時や[[トウガラシ]]を大量に食わされた時、競走で1着を獲った時など)頭に血が上ると一時的に普通に話せるようになる。しかし、競輪祭新人王を獲った時には、血の巡りがオーバーして逆に何も話せず、代わりに関が出ている。
; 大場 嘉太郎(おおば よしたろう)
: 通称:'''大バカ'''または'''カ太郎'''(名前の「嘉」が「か」とも読めることから)。西多摩学園高校出身。高校卒業直前、進路を決めかねている時に売の優勝に感激して、同級生の門前・古山(後述)と3人で関の元に弟子入りを志願。以後「三バカトリオ」と罵倒されつつも厳しい練習に耐え、三人のうち唯一競輪学校に合格し競輪選手となる。デビュー後は先行主体で戦っていたが、心の師と思っている吉田のとっつあんの適当な助言でマーク屋に転身。あまり向上心はなく、A級上位あたりを行ったり来たりしており、そこそこ稼げている現状に満足している。
: なお選手になれなかった'''門前清一'''(もんぜん せいいち、通称:[[清一色|チンイチ]]・[[マージャン]]的な読み方に則れば「メンゼンチンイツ」と読めることから)と'''古山将治'''(ふるやま しょうじ、通称:タヌキ)は競輪選手を諦めた後長い間無職だった<ref>但し古山については、その後奥多摩の家具工場にて働いていた時期がある</ref>が、山中で採った[[カブトムシ]]や[[クワガタムシ]]が売れて大金を掴み、昆虫養殖の事業を始めた。
; 桐山 公男(きりやま きみお)
: 通称:'''武蔵'''。[[東京大学|東大]]へ多数合格者を輩出している名門・武蔵開成高等学校出身。高3の初夏のときに街道で練習中の関軍団と遭遇し、弟子入りを志願。稼げる弟子を欲しがった関も承諾し、東大受験をやめて競輪選手になる。競輪選手としての能力も高く、過去に[[共同通信社杯競輪]]を制するなどの実績を挙げている。一時期やる気が無くなったが、2005年の競輪祭で決勝戦まで進み復活をアピール。
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; 吉田のとっつぁん(よしだ)
: 関のギャンブル仲間。若い時分にパチンコ屋アリジゴクで出会い、意気投合するが、八百長を強要されるのを嫌がった関に競輪選手の関とは同姓同名の別人だと騙されている。植木職人だったが、ギャンブル狂でろくに仕事もせず、妻にも逃げられ、優一の記念初優勝の賞金をかっぱらう等のキング オブ ロクデナシに成り果てていた。置き引きや空き巣等で何度も[[刑務所]]に入る典型的な人生の落伍者だったが、出所後に競輪場に行く客に嫌みを言い続けていたのがきっかけで、絶対に当たる予言者として評判を呼び、大成功を収める。最終回で久々に登場し、[[スピリチュアル]][[占星術|宣誓術]]師・細原数之([[細木数子]]と[[江原啓之]]からとったネーミング)としての成金振りを関に披露した。但し、モーニング2006年31号から35号に掲載された『[[実録!関東昭和軍]]』の欄外コメントに関が登場し、「吉田が再び刑務所行きになった」と述べている。
; 門前 清一(もんぜん せいいち)
: なお選手になれなかった'''門前清一'''(もんぜん せいいち、通称:[[清一色|チンイチ]][[マージャン]]的な読み方に則れば「メンゼンチンイツ」と読めることから)。大場'''古山将治'''(ふるやま 一緒に弟子入りを志願ょうじ、通称:タヌキ)は競輪選手を諦め目指すも、年齢制限一杯まで受験失敗を繰り返し末に断念。その長い間無職だっ<ref>但し古山について、その後奥多摩の家具工場にて働いフリーター生活を送っていた時期があと思われ</ref>が、東京郊外の山中で採った[[カブトムシ]]や[[クワガタムシ]]を子供達に販れて大することで得た資金を掴み元手に、昆虫養殖の事業を始めた。
; 古山将治(ふるやま しょうじ)
: 通称:タヌキ(名前の「将治」と「[[証城寺の狸囃子]]」をかけている)。大場と一緒に弟子入りを志願し選手を目指すも断念。ただし見切りの付け方は早く、関優勝が38歳という高齢にもかかわらず「決勝戦で本人以外8名全員落車」という幸運に恵まれ記念競輪を制覇したことを契機に「師匠は恵まれた人間だが、自分はそうではない」と悟り自ら身を引く。その後は奥多摩の家具工房で働いていた時期もあったが、ほどなく退職。現在は門前と共同で昆虫養殖の事業に携わる。
 
=== 実在の競輪選手 ===