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[[Image:Ptolemy X Alexander I Louvre Ma970.jpg|thumb|200px|Bust of Ptolemy X Alexander I featuring a stylized [[:en:uraeus|uraeus]] just above his forehead, on display at the [[:en:Louvre|Louvre]]]]
'''プトレマイオス10世アレクサンドロス1世'''([[ギリシア語|希]]:{{lang|el|'''Πτολεμαίος Ι' Αλέξανδρος'''}}、[[英語|英]]:Ptolemy X Alexander I、? - [[紀元前88年]])は、[[古代エジプト]]、[[プトレマイオス朝]]の[[ファラオ]](在位[[紀元前110年]] - [[紀元前109年]]、[[紀元前107年]] -[[ 紀元前88年]])。父は[[プトレマイオス8世|プトレマイオス8世フュスコン]]、母は[[クレオパトラ3世]]。兄[[プトレマイオス9世|プトレマイオス9世ラテュロス]]と王位を争った。
 
== 生涯 ==
[[紀元前116年]]、[[クレオパトラ3世]]は、夫フュスコンの死後、共同統治者としてプトレマイオス10世(以下アレクサンドロス)を指名しようとしたが、[[アレクサンドリア]]市民が年長の子[[プトレマイオス9世]](以下ラテュロス)の擁立を要求したため、仕方なくラテュロスをファラオとした。しかし、ラテュロスとクレオパトラ3世の対立は深まり、[[紀元前110年]]に、ラテュロスがクレオパトラ暗殺を謀っているとしてラテュロスは廃位され、アレクサンドロスが擁立された。
 
アレクサンドロス自身も母と対立するようになり、[[紀元前109年]]には再びクレオパトラはラテュロスを復位させ、[[紀元前107年]]に再びアレクサンドロスを即位させるという混乱が続いた。アレクサンドロスは母を暗殺し([[紀元前101年]])、兄と和解しその娘[[ベレニケ3世]]と結婚した。
 
[[紀元前88年]]、[[テーベ]]で原住民の反乱が発生し、軍の維持費を賄うために[[アレクサンドリア]]にあった[[アレクサンドロス3世]](大王)の墓から財宝を略奪した。これが臣民の反感をかい、不人気であった王は逃亡したが殺害された。このため、兄ラテュロスが復位する事となった。
 
{{プトレマイオス朝ファラオ}}