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'''エーロ・エリク・ニコライ・ヤルネフェルト'''({{lang-fi|Eero Erik Nikolai Järnefelt}}、[[1863年]][[11月8日]] - [[1937年]][[11月15日]])は、[[フィンランド]]の写実主義の画家。
 
当時フィンランド領だった[[ロシア]]の[[ヴィボルグ|ヴィープリ]]に生まれた。父は[[ロシア帝国]]陸軍将校のアウグスト・アレクサンドル・ヤルネフェルト、母は「フィンランドの芸術文化の母」エリザベス・ヤルネフェルトである。1883年から85年にかけて、アルベルト・エーデルフェルトも学んだ[[サンクトペテルブルク]]芸術アカデミーに通った。兄弟のアイノ・ヤルネフェルトは1892年に作曲家の[[ジャン・シベリウス]]と結婚した。エーロにはアイノの他にもカスパー、アルヴィド、エレン、[[アルマス・ヤルネフェルト|アルマス]]、ヒリャ、シグリドの兄弟がいた。
 
1886年に[[パリ]]へ留学し、[[アクセリ・ガッレン=カッレラ]]、エミール・ウィクストレーム、ルイ・シュパラーらと親しくなった。そこでヤルネフェルトはフランスの画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの戸外主義と自然画に惹かれた。1889年に旅行先のケウルーで女優のサイミ・スワンと出会い、翌年結婚した。