「藩閥」の版間の差分

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後に陸軍では山県有朋の影響力が増大し、[[寺内正毅]]や[[田中義一]]らが山県閥を形成し、陸軍内の主流派となった。しかし、[[1910年代]]には山県の影響力は低下し、やがて陸軍内の派閥は[[統制派]]と[[皇道派]]に別れていくことになる。
 
海軍では出身地閥より[[閨閥]]が重視される傾向が生まれ、海外留学経験・海軍兵学校での席次ともに夫人の血縁が出世の要件と言われた。後に海軍内での派閥には[[条約派]]・[[艦隊派]]が生まれていった。
 
[[1930年代]]に[[陸軍三長官]]を務めた長州出身者は[[寺内寿一]](寺内正毅の子)一人であり、[[海軍三長官]]を務めた薩摩出身者も[[山本英輔]](山本権兵衛の甥)一人である。
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