「エフゲニー・ムラヴィンスキー」の版間の差分

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50年間に渡りムラヴィンスキーの薫陶を受け続けたレニングラード・フィルとの数々の演奏は、[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]を思わせるムラヴィンスキーの厳密なスコア解釈、テンポ設定を高度なアンサンブルによってレニングラード・フィルが手足の如く表現すると言う非常にレベルの高いものであり、消え入りそうな[[ピアニッシモ]]から雷鳴の様なフォルティッシモに至るまで一途乱れぬ演奏は西側でも非常に高く評価されていた。
 
彼の家を訪れた人物や妻(アレキサンドラ・ヴァビリナ・ムラヴィンスカヤ。レニングラード・フィル首席フルート奏者として夫とともに4度来日演奏している)の証言によると、その名声とは裏腹に私生活は極めて質素であり、自然と文学や芸術を愛するつつましい生活を送っていたようである。余暇は、ステップや森林を何日も散策したり釣りや川遊びを楽しんだりした。また人を魅了するユーモアセンスの持ち主でもあり、彼との会話は笑いが絶えない非常に楽しいものであった。

初来日で天ぷらを食べたとき、箸が使えずフォークで食べ「指揮棒のようにはいきませんね。」と云われると、すかさず「だって、指揮棒は一本だよ。」と答えて爆笑を誘った。

妻には「持ち物を増やしてはならない。いつ何が起きるか分からない」と語っていたとのことである。動物を愛し家の中に虫がいても殺さずにやさしく外に放つほどであった。
 
指揮者生涯の大部分に当たる約50年間にわたって国立レニングラード・フィルハーモニーの常任指揮者の地位を務め、国家的にも重要なポストを占めたが、生涯を通じて旧[[ソヴィエト]]指導部に対して強い疑念と反感を持ち続け、遂に[[ソビエト連邦共産党|ソヴィエト共産党員]]とはならなかった。国際的な名声にはソビエト共産党もうかつに手が出せなかった。