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本記事では、{{Otheruses|[[チベット]]の古都ラサに関して記述しています。|中華人民共和国における「地区」級の地方自治体「拉薩市」については[[|ラサ市]]を参照してください。}}
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'''ラサ'''は[[吐蕃]]時代の7世紀に成立した[[チベット]]の古都。吐蕃王朝期(7世紀-842)やダライラマ政権時代(1642-1959)に政権の本拠地がおかれて政治的中枢となり、また政権の変遷をこえて文化的中枢でありつづけた。チベット、モンゴル、満州などの諸民族から構成される[[チベット仏教文化圏]]の中枢でもある。
 
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[[9世紀]]の[[吐蕃王朝]]の崩壊以後、チベットの政治的中心は、時期ごとの覇者たちの所在地を転々としたが、宗教的中心地としての地位は不動であった。[[1414年]]には[[ラサ三大寺]]の筆頭[[ガンデン寺]]の建立をかわぎりに[[ゲルク派]]の本拠地となり、17世紀中期には熱心な[[ダライ・ラマ]]の信者であった[[オイラト]]・[[ホショト]]部の[[グシ・ハン王朝|グシ・ハン]]がチベットの大部分を征服したことをきっかけとして、[[ダライ・ラマ]]の宗派を超えた宗教上の最高権威としての地位が確立され、諸宗派に対する[[ゲルク派]]の優位、とりわけ[[モンゴル]]におけるゲルク派の優勢が決定的となった。
 
[[1642年]]に成立したダライラマ政権は、当初歴代ダライラマの居館があった[[デプン寺]]の[[ガンデンポタン]]に置かれ、行政府の呼称はこれにちなんで「ガンテンポタン」とされた。政権の拠点として[[ポタラ宮殿]]の建設が[[1645年]]より開始され、[[1660年]]に完成したが、ポタラ宮殿への移転後も、行政府の「ガンデンポタン」という呼称は継承された。
 
ダライラマ政権の発足により、ラサは再びチベット全域の政治的、経済的、文化的中枢の地位を獲得しただけでなく、チベット人、[[モンゴル人]]、[[満州人]]などから構成される[[チベット仏教文化圏]]の中心ともなった。