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小野は、[[犯罪]]論における'''後期旧派'''の立場から犯罪の本質は応報としての道義的[[責任]]であり、かかる道義的な義務に違反することを[[違法性]]、国民の道義的な観念に基づく犯罪行為を類型化したものを構成要件とする。滝川が前期旧派の立場から構成要件の犯罪限定機能を重視したのに対し、小野の構成要件理論においては、構成要件は違法及び責任と質的に異なるものではなく、行為を全体的に観察することによって構成要件該当性を認めることができるとされ<ref>上掲『犯罪構成要件の理論』412頁</ref>、犯罪限定機能を有しなかった。
 
小野は、[[違法性]]の実質については、規範違反説をとり、後に瀧川が改説して法益侵害説をとると、これを厳しく批判して対立したが、上記の滝川説が[[自由主義]]的であるとして[[滝川事件]]の発端となったのに対し、小野は、規範違反の内容を国家的法秩序違反としていたため、戦前の[[全体主義]]的な流れに抗することができなかったことが、戦後問題とされ、公職追放となる。小野の刑法理論は、戦後弟子の[[団藤重光]]によって受け継がれ、復権をとげることになるが、小野が規範を構成要件理論によって外面性保持を与えていた点は、人格的責任論により規範の実証性から法哲学的な解釈性への転換与えられた。いわゆる、団藤による新旧両派の止揚である。小野以前の規範は裁判規範の意味合いが強く(現下の)社会性が保持されていた。団藤以降のそれは行為規範の意味合いが強く、新たに定型の概念が用いられた。団藤の行為規範への考察がその後の可罰的違法論の展開へと向かう繋がることになる。なお、規範と社会規範が意味するものは学説・諸家によってニュアンスが異なっていることに注意を要する。また、両者について区別されない場合もある。
 
[[刑事訴訟法]]学説において、構成要件は違法有責類型であるから、[[検察官]]が構成要件に該当することを立証すれば、被告人は違法有責でないことを立証しなければならないとして[[立証責任]]を転換し、構成要件と刑事訴訟法における公訴事実を同じものであるとした<ref>上掲『犯罪構成要件の理論』136頁</ref>。