「マヌエル・セラヤ」の版間の差分

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しまあじ (会話 | 投稿記録)
C:CITE分類、履歴2010年4月2日13:50(UTC)付け
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セラヤは[[中道左派]]の政治家として知られていた。ホンジュラスでは大統領の再選が禁止されていたが、セラヤは再選を目指していた。それには軍や裁判所が反発しており、違憲であるとの最高裁判決も出された。そして[[2009年]]に起こった[[クーデター]]で、セラヤは首都[[テグシガルパ]]で、軍隊によって拘束された<ref>[http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090629/36750.html 中米ホンジュラスで軍事クーデター、セラヤ大統領をコスタリカに追放](2010年4月2日閲覧)</ref>。セラヤは空軍基地に連行されたのち、[[コスタリカ]]の[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]に移送された。
 
その後セラヤは内密にホンジュラスに帰国して、[[テグシガルパ]]のブラジル大使館に姿を見せた{{要出典|date=2010年4月}}。
 
== 脚注 ==