「ナターリア・アレクセーエヴナ」の版間の差分

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'''ナターリア・アレクセーエヴナ'''({{lang|ru|Наталья Алексеевна}}, [[1755年]][[6月25日]] - [[1776年]][[4月26日]])は、[[ロシア帝国|ロシア]]皇帝[[パーヴェル1世]]の最初の妃。パーヴェルが皇帝に即位する前に死別したので、皇后にはならなかった。[[ロシア大公妃]]の称号で呼ばれた。[[ドイツ語]]名ヴィルヘルミーネ・ルイーザ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット(Wilhelmine Luisa von Hessen-Darmstadt)。
 
[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯]][[ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ9世]]と妃[[ヘンリエッテ・カロリーネ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン]]([[ライン宮中伯|プファルツ]]系[[ヴィッテルスバッハ家]]傍系出身)の第5子として、プレンツラウ(現在の[[ブランデンブルク州]]の町)で生まれた。
 
1773年10月10日、パーヴェル大公と結婚した。結婚にあたっては[[正教会|正教]]に改宗し、ナターリア・アレクセーエヴナと改名した。ナターリアは1776年4月に[[サンクトペテルブルク]]で第一子を死産し、自身も体調を崩して急逝した。