「園田直」の版間の差分

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NAZONAZO (会話 | 投稿記録)
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* 学歴がないことを恥じており、[[1960年]]、長男博之の[[日本大学]]入学をきっかけに自身も同大学の[[通信教育]]課程に入学し、[[学士]]号取得を目指した。しかし既に有力議員であったため学生生活を送っている時間はなく、[[スクーリング]]やレポート・試験に至るまでほとんど[[秘書]]に任せていた。ある時この話を伝え聞いた[[田中角栄]]に「アンタはとっくに教える立場だ」と笑われ、「それもそうだ」と納得。退学した([[週刊アサ秘ジャーナル]]内での[[松野頼三]]の発言による)。
* 昭和の剣豪[[羽賀準一]]に師事し、[[剣道]]・[[居合]]に励んでいた。あるとき、稽古に遅れたために小走りで道場に入ったところ、羽賀に「天下を取ろうとするものが遅刻ごときで走るな」と一喝されたことがある。羽賀の没後は、弟子たちをまとめ[[一剣会羽賀道場]]を設立し初代会長になり、毎朝の稽古を欠かすことなく、稽古後に閣議に臨んでいた。
* 昭和56年([[1981年]])8月の日韓外相会談の席上、[[韓国]]側が安全保障問題も絡めて、日本に五年間で六十億ドル( 当時、二兆一千六百億円)という法外な政府借款や技術移転を執拗に日本側に要求した。それに対して園田直外相は、「韓国では嫌いな相手からカネを借りたり、技術を教えてもらう社会習慣でもあるのか?。」<ref>{{cite news|title=日韓併合100年:韓国を重要視した中曽根元首相 |url=http://www.chosunonline.com/news/20100828000055 |publisher=朝鮮日報 |accessdate=2010年8月28日 |date=2010年8月28日}}</ref>と公式の席で発言している。
*当時の政治家の「上半身と下半身は別物」の模範者であり、さまざまな女性問題が噂された。しかし、当人の実績・人柄及び潔さによりこの件について悪く言われたことが無かった政治家である。
*[[難民の地位に関する条約]]の[[批准]]にあたって[[社会保障]]各法の[[国籍条項]]の撤廃が必要であったが、[[厚生省]]と[[橋本龍太郎]](当時の厚生大臣)は撤廃に反対し、一時は条約批准も危ぶまれた。[[1980年]]橋本に替わって厚生大臣になった園田は、社会保障各法の国籍条項を撤廃し、[[外国人]]であっても[[年金]]と[[児童扶養手当]]を受給できるようにした。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==