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'''エウゲン・カップ'''(''Eugen Kapp'', [[1908年]][[5月13日]] - [[1996年]][[10月29日]])は[[エストニア]]の[[作曲家]]。
 
[[ロシア]]の[[アストラハン]]出身。父は作曲家の[[アルトゥール・カップ]]。タリン音楽院で父に学び、[[1931年]]に卒業した。4年後にタリン音楽院の非常勤講師となり、[[音楽理論]]と[[作曲]]を教えた。[[1941年]]に[[独ソ戦]]が勃発してエストニアが[[ドイツ]]に占領されると[[ソビエト連邦]]に逃れ、[[1944年ヤロスラヴリ]]でエストニア人のアンサンブルを組織した。[[タリン1944年]]に戻った帰国。[[1947年]]にタリン音楽院の教授となり、[[1952年]]から[[1964年]]まで学長を務めた。教え子に[[エイノ・タンベルク]]などがいる。また[[1948年]]から[[1965年]]までエストニア作曲家連盟の議長を務めた。さらにエストニア共産党に入り、[[1947年]]から[[1955年]]までエストニア共和国最高会議代議員、[[1954年]]から[[1962年]]までソビエト連邦最高会議代議員の地位にあった。
 
作品は[[オペラ]]が中心だが、ほかに3つの[[交響曲]]、6つの管弦楽組曲、8つの[[カンタータ]]、[[ピアノ協奏曲]]、[[フルート協奏曲]]がある。作風はエストニア民謡を題材に取った簡明な[[リズム]]と明快な[[メロディー]]が特徴で、[[スターリニズム|スターリン時代]]に高く評価され、[[1946年]]、[[1950年]]、[[1952年]]の3度にわたって[[ソビエト連邦国家賞|スターリン賞]]を受賞した。さらに[[1956年]]には[[ソ連人民芸術家]]、[[1978年]]には社会主義労働者英雄の称号を得た。