「リトルリーグ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
2行目:
== 歴史 ==
[[1939年]][[6月]]、[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]][[ウィリアムスポート (ペンシルベニア州)|ウィリアムズポート]]で[[カール・ストッツ]]が中心になって地元の少年12人が少年野球団を結成。初めは、9歳から12歳までの少年で作られた3チームの小さな団体だった。その後、[[1947年]]に第1回の世界選手権([[リトルリーグ・ワールドシリーズ]])が開始された。正式な団体として成立されたのは[[1964年]][[7月16日]]で、当時の[[アメリカ大統領]][[リンドン・ジョンソン]]の署名によって[[連邦政府]]認可の[[法人]]となった。リトルリーグの世界本部は
[[日本]]では[[1955年]]ごろ、[[東京都]]近郊にある5-6リーグでスタートし、[[1964年]]にリトルリーグ生誕25年を記念し、[[日本リトルリーグ協会]](現・[[日本リトル野球協会]])が設立され、1970年から[[三井物産]]
== リトルリーグと一般の野球とのルールの相違点 ==
12行目:
:一般の試合では[[走者]]の離塁は自由だが、リトルリーグでは投球が打者に届く前、あるいは打者が打つ前に走者は離れてはいけない。違反した場合、走者は[[アウト (野球)|アウト]]にならないが進塁・得点は認められず、元あったベースに戻らなくてはいけない。
;[[投手]]の投球数
:10歳以下は1日に75球、
;投手の休息時間
:1日に61球以上の投球をした場合は3日、41球
;[[野球場|グラウンド]]サイズ
:投手
;試合使用球
:一般の硬式野球同様に重さ141,
;[[バット (野球)|バット]]
:[[木製]]、[[金属]]製いずれも可。長さ83.81cm以内、大きさ直径5.71cm以内のもの。
32行目:
== 世界一への道 ==
リトルリーグ・ワールドシリーズの出場権を獲得するには日本では次のような課程をクリアしなくてはいけない。
*「全日本選手権」 毎年4-6月に各地域連盟ごとの予選会(全国12地区)を開催し、それぞれの予選会優勝チームが6月下旬、ないしは7月初旬に一堂に会して[[日本一]]を決定する全日本選手権をトーナメント制で争う。平年は[[東京都]]の[[江戸川区球場]]、[[江戸川区臨海球技場]]で開かれるが、[[2004年]]度の大会は初めて[[兵庫県]]で開かれた。▼
=== 全日本選手権 ===
*[[2006年]]度までは全日本選手権の優勝リーグ(チーム)は、その直後(7月下旬)に[[アジア]]・[[オセアニア]]各国の代表チームと対戦するアジア・太平洋地区選手権に出場。日本はアジアブロックの枠で出場し、そこで1位になればワールドシリーズの出場権を得ていたが、2006年11月14日、米ペンシルベニア州ウイリアムスポートでリトルリーグの国際会議が開かれ、[[2007年]]から日本がワールドシリーズにおいて独立した地域として承認された。これにより、全日本選手権の優勝リーグ(チーム)が日本地区代表として直接リトルリーグ・ワールドシリーズに出場できることになった。▼
▲
▲
== リトルリーグ・ワールドシリーズ ==▼
▲=== リトルリーグ・ワールドシリーズ ===
毎年8月にアメリカのウィリアムズポートで開かれるリトルリーグ・ワールドシリーズは、アメリカ国内の各地区支部ごとの予選を勝ち上がった8チーム(アメリカ国内グループ)と、それ以外の地域(日本、アジア・オセアニア<ref>2006年まではそれぞれの地域で1つずつだったが、2007年から日本が別枠となったためアジア・オセアニアは統合して1枠になった。</ref>、[[カナダ]]、[[ラテンアメリカ]]、[[カリブ海]]諸国、[[メキシコ|メキシコ合衆国]]、[[ヨーロッパ]]、中東・アフリカ)の8チーム(インターナショナルグループ)に分かれて予選リーグを戦い、それぞれの1位チームが直接対決をしてリトルリーグの世界一を決める。
|