「呂不韋」の版間の差分

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呂不韋が始皇帝の実の父であると言う話は広く流布しており、半分事実のようにも扱われている。この説は、始皇帝生存時から存在していたらしく、『[[史記]]』でも呂不韋列伝に史実として記載されている。しかし、ほぼ同時代の[[楚 (春秋)|楚]]の宰相[[春申君]]にも同様の逸話があることから、それを否定する歴史家もいるしおり、始皇帝を中傷するために作られた話とする見方もある。どちらにせよ本当真実を知っていたは呂不韋と太后だけが知っている事のみであり、今後も定説が出見込みと思われる
 
後裔として、[[劉邦]]の妻[[呂雉]](呂后)は呂不韋の一族だったと[[郭沫若]]・佐竹靖彦らは可能性を示唆している。また、[[三国時代 (中国)|三国時代]]に呂不韋の名に因んだ[[永昌]]郡不韋県出身で[[蜀]](蜀漢)に仕えた豪族の[[呂凱]]は、呂不韋の後裔とされている(『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』蜀書呂凱伝)。