「国鉄EH10形電気機関車」の版間の差分

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== 基本構造 ==
動軸を8軸としたことで全長22.5mに及ぶ長大な車体は2分割され、箱形の2車体を永久連結する特異な構造となった。2車体間は永久[[連結器]]で結合され、金属製の特殊な貫通幌と高圧引き通し線が渡されている。全長がこれまでの機関車以上に長くなったことから、構内有効長における機関車占用長さを少しでも減らすために(限りある構内有効長の中で、機関車が占用する長さが大きくなると、その分だけ貨車の連結両数が減る)従来の貨物用電気機関車で標準的であった前頭部のデッキは廃され非貫通構造となった。
 
従来の国鉄電気機関車は、鋼板部材の組み立てないし一体鋳鋼によって構成された「台車枠」を全ての基礎としていた。台車枠の両端には先輪が結合され、走行時の牽引力は先輪の端に装備された連結器から直接客貨車に伝えられた。車体は台枠を備えるものの自らの強度を保つ機能しかなく、機器類を覆って台車枠の上に載っているだけの存在だった。
 
本形式ではこの伝統的な構造から完全に脱却し、電車同様の鋳鋼製2軸[[ボギー台車]]を装備した。牽引力は[[鉄道車両の台車|台車]]から車体の[[台枠]]を経て[[連結器]]に伝えられるようになった。在来型の大型電気機関車では長大な台車構造から曲線のスムーズな通過のために[[先輪]]が必須とされていたが、ボギー台車を装備したEH10形は先輪を要さなかった。
 
台車枠を基礎とする構造と先輪の両方を廃したことから、出力の向上に比して大幅な軽量化が図られた。運転整備重量は118.4tとなり、一方の最大軸重は14.8tとなっている(量産機は運転整備重量116.0t、最大軸重14.5t)。在来型機関車と違って先輪がないため全軸駆動となり、重量の全てを粘着力確保に生かせるようになって、たために牽引力が向上した。これだけ軸重が重くなると、[[ローカル線]]への転用は不可能である。逆にいえば、東海道本線での運用のみを念頭に置いた機関車であったからこそ思い切った設計手法を用いることができたともいえる。
 
=== 電装機器 ===
主電動機は、EF15形とほぼ同等で絶縁強化等による熱対策を施したMT43形を8基搭載し、定格出力2530kWを発生する。これはEF60形の後期形車が定格出力2550kWを達成するまで、日本国内の電気機関車としては最大の出力であった。
 
制御システムは手動加速式の単位スイッチ制御方式である。従来のEF15形から大きな差はなく、平凡だが信頼性を重視した手法である。車体や台車は近代化される一方、モーターや制御装置は在来車同様な堅実路線を採っていた訳である。このような経緯から本形式は、EF15形以前の旧性能機と[[国鉄ED60形電気機関車|ED60形]]以降の新性能機の間における過渡的な形式と位置づけられる。
 
EF15形に比して出力が30%以上向上したことから、1200t列車を牽引しての関ヶ原越えに耐える性能を得ただけでなく、平坦区間での走行性能にも余裕が生じ貨物列車のスピードアップに貢献している。
 
=== 車体デザイン ===
車体デザインは、民間工業デザイナーの萩原政男<ref>萩原は後年、「パノラマカー」の愛称を持つ[[名鉄7000系電車]](1961年)のデザインを手がけたことや、雑誌『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』の初代編集長となったことで知られている。</ref>が手がけた。国鉄車両としてはいち早く、スタイリングを外部のデザイナーに委託したことは特筆される。
 
前面形態は角張っているが、窓部分が凹んでおり中央で二分割されている。2枚窓は同時期の[[国鉄80系電車|80系電車]]、また前面窓部を凹ませる手法は[[国鉄72系電車|72系電車]]との近縁性を強く伺わせるものである。塗装は巷間「[[クマバチ|熊ん蜂]]」とあだ名された[[黒 (国鉄制定色)|黒色]]に[[黄1号|黄色]]の細帯を入れたいささか物々しいもので(ただし後述の15号機の高速試験機時代は地色が[[ぶどう色2号|ぶどう色]])、それ以前の電気機関車における茶色塗装に比し、より力強い印象を与えた。これも萩原の発案によるものである。
 
なお国鉄の電気機関車として初めて、前面下部にスカートを装着している。やはり萩原の発案である。