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マスタートンに生まれる<ref>''New Zealand Science Review'' '''2001''', 58, 14. [http://ifs.massey.ac.nz/research/MacDiarmid/MacDiarmid.htm]</ref>。貧しい家庭環境にあり、家族でウェリントン近郊のロワー・ハットへ引越す。化学に興味をもち、図書館の書物や父親の蔵書などを読み、独学で化学の勉強をする。ハットバレー高校で大学入試資格を得て、[[ウェリントン]]の[[ヴィクトリア大学ウェリントン]]へ入学。在学中は化学教室で掃除などの雑用をして学費を稼ぎながら[[修士課程]]まで進学する。当時のニュージーランドでは制度的に博士号は取得できなかったため、[[フルブライト奨学金]]を得て[[アメリカ合衆国]]の[[ウィスコンシン大学]]へ留学し、[[博士号]]を取得。さらにシェル奨学金を受けて[[ケンブリッジ大学]]へ移り、2つ目の博士号を得る。
 
[[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]で1年過ごしたのち、[[1955年]]に[[ペンシルベニア大学]]に職位を得て2007年に死去するまで52年間にわたり勤務した。[[1964年]]にペンシルベニア大学正教授、[[1988年]]から化学部ブランシャール特任教授。[[1999年]]に材料化学分野で[[アメリカ化学会]]賞を受賞した。また、[[2002年]]には[[テキサス大学ダラス校]]の教授になった。同校には、彼の名を冠したAlan G. MacDiarmid NanoTech Instituteがある
 
2000年に[[導電性高分子]]の発見と発展に関する業績に対し、[[アラン・ヒーガー]]、[[白川英樹]]らと共に[[ノーベル化学賞]]が授与された。[[2001年]]にはニュージーランド科学界最高の賞である[[ラザフォードメダル]]を獲得し、また[[ニュージーランド勲章]]に叙せられた。