「山中恒」の版間の差分

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山中が『少年H』を批判したことは山中の事績として事実であり、削除すべきものには該当しません。
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[[1980年代]]以降、[[大林宣彦]]監督により自作が続けて映画化された。それらが原作とは無関係に[[尾道市|尾道]]を舞台とした映画になったため、大林は恩返しのため恒の郷里・小樽を舞台として『はるか、ノスタルジィ』を映画化した。
 
また『ボクラ少国民』などの流れをくむ戦時期の教育・国民生活を題材にしたノンフィクションも数多く手がけており、[[妹尾河童]]の『[[少年H]]』の内容を批判した著作は話題となった。妹尾の自伝的小説がたとえ反戦を訴えることが主眼でも、当時の少年たちが「少国民」として戦争の大義を信じていた事実(下記の恒自身のエピソードも参照)を隠蔽し、戦争に疑問を抱く少年を描いたことも批判の対象となった。
 
なお「児童文学作家」と呼ばれるのを好まない理由にはデビュー当時「児童文学者」を称した人々の純文学的な作風への反発に加え、戦争中に戦争協力的な作品を書いた当時の児童文学作家が戦後あっさりと「民主」的な作風に乗り換えたことに対する反発もあるとされる。恒はそこには児童読物本来の面白さが失われていると考え、『[[ハックルベリー・フィンの冒険]]』に学んで『とべたら本こ』を書いた。
 
同世代の「戦友」と呼んで『ボクラ少国民』シリーズの執筆にも助力した最初の夫人は急病で失う。そのため『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子現夫人とは再婚である。
 
== 受賞歴 ==