「藤堂高次」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
12行目:
| 氏族 = [[藤堂氏]]
| 父母 = 父:[[藤堂高虎]]、母:松寿院([[長連久]]娘)
| 兄弟 = <br/>[[藤堂高吉|高吉]]、'''[[藤堂高次|高次]]'''、[[藤堂高重|高重]]<br/>妹([[蒲生忠郷]]正室、後に[[専修寺]][[堯朝]]室)<br/>妹([[藤堂忠季]]室)、妹([[岡部桂賢]]室)<br/>妹([[生駒正俊]]室)、妹([[小堀政一]]室)
| 妻 = 正室:[[酒井忠世]]娘
| 子 = '''[[藤堂高久|高久]]'''、[[藤堂高通|高通]]、[[藤堂高堅|高堅]]、[[大沢基恒]]、[[藤堂高睦|高睦]]<br/>娘([[京極高和]]正室)、娘([[安藤重之]]正室)<br/>娘([[専修寺]][[堯円]]室)、娘([[石川昌能]]正室)<br/>娘([[井伊直武]]正室)
18行目:
'''藤堂 高次'''(とうどう たかつぐ)は、[[江戸時代]]前期の[[外様大名]]。[[伊勢国]][[津藩]]の第2代藩主。[[藤堂家]]宗家2代。
 
==生涯==
高虎にはなかなか実子ができなかったため、[[藤堂高吉]]([[丹羽長秀]]の子)を養嗣子として迎えていた。高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、[[寛永]]7年([[1630年]])、高虎の病死により高次がその後を継ぐこととなった。
 
26 ⟶ 27行目:
[[寛文]]9年([[1669年]])隠居し、[[家督]]を長男の[[藤堂高久|高久]]に譲る。[[延宝]]4年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]([[1676年]][[12月20日]])に死去した。
 
==関連項目==
* [[藤堂氏]]
* [[津藩]]
 
{{先代次代|[[藤堂氏|藤堂家当主]]|第10代:1630年 - 1669年<br/>藤堂高次|[[藤堂高虎]]|[[藤堂高久]]}}