「幇間」の版間の差分

現在では東京に数名、関西には1名しかおらず絶滅寸前の職業とまで言われ、後継者の減少から伝承されてきた「お座敷芸」が失伝されつつある。[[古典落語]]では江戸・上方を問わず多くの噺に登場し、その雰囲気をうかがい知ることができる。[[台東区]][[浅草]]にある[[浅草寺]]の本坊[[伝法院]]には[[1963年]]に建立された'''幇間塚'''がある。幇間の第一人者としては[[悠玄亭玉介]]が挙げられる。男性の職業として「らしくない仕事」の代名詞とされた時代もあった。
 
正式な「たいこ」は師匠について、芸名を貰い、住み込みで、師匠の身の回りの世話や雑用をこなしながら芸を磨く。通常は5~6年の修業を勤め、お礼奉公を一年で、正式な幇間となる。師匠は芸者置屋などを経営していることが多いが、芸者との恋愛は厳禁である。
もっとも、披露(ひろめ)も終わり、一人前の幇間と認められれば、芸者と所帯を持つことも許された。
 
正式な幇間は、芸者と同じように、芸者置屋に所属している。服装は、見栄の商売であるから、着流しの絹の柔らか物に、真夏でも羽織を着て、白足袋に雪駄、扇子をぱちぱち鳴らしながら、旦那に取り巻いた。
 
ちなみに近代医療制度の前には、医師でありながら診療をせずに、金持ちの周りにはべり、お追従を以って世渡りする者を、「おたいこ医者」といった。
 
正式な師匠に付かず、放蕩の果てに、見よう見まねで「たいこもちみたような」素人芸で、身過ぎ世過ぎを行っているものを「野だいこ」という。
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