削除された内容 追加された内容
Point136 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
'''嘉量'''(かりょう)は、
 
#広義には、[[古代]][[中国]]で配布された[[容積]]の標準器のこと。[[春秋戦国時代]]に[[斉 (春秋)|斉]]で造られたものが最古であるといわれる。
#狭義には、嘉量のうち[[新]]代に[[王莽]]が[[度量衡]]を改めて配布した'''新莽嘉量'''(しんもうかりょう)のこと。この項で詳説する。
 
==歴史的背景==
 
紀元前後、[[前漢]]は皇室の外戚である[[王莽]]が全権力を完全に掌握し、ほとんど崩壊状態となっていた。そして[[初始]]元(8)年11月、ついに王莽は第14代皇帝の[[孺子嬰]]に[[禅譲]]を迫り、帝位を[[簒奪]]して皇帝に即位、国号を「[[新]]」と改めたのである。
 
11 ⟶ 9行目:
 
==概要==
 
嘉量は大きな円筒形の枡の左右に1つずつ小さな枡がついた構造となっている。中央の大きな枡と小さな枡の片方は上下が枡となっており、もう片方の小さな枡は上のみが枡となっていて、この枡全てが標準器となっていた。
 
27 ⟶ 24行目:
 
==研究と評価==
 
嘉量は標準器としては極めて優秀であったため、[[新]]の滅亡後も保管され、[[西晋]]代の[[泰始 (晋)|泰始]]10(274)年に朝廷内で嘉量を測定した記録が残っている。しかしその後朝廷の手を離れ、[[東晋]]代の[[太元 (東晋)|太元]]4(379)年にそれとおぼしき枡が市に出ていたという記録を最後に一時その姿をくらました。
 
39 ⟶ 35行目:
 
==関連項目==
 
*[[新]]
*[[王莽]]
46 ⟶ 41行目:
 
==参考文献==
 
*岩田重雄「新莽嘉量について」(『計量史研究』第26巻2号p.93-99、日本計量史学会刊、2004年12月)
*関増建著・加島淳一郎訳「中国計量史上の至宝—新莽嘉量」(『計量史研究』第26巻2号p.101-105、日本計量史学会刊、2004年12月)
 
[[Category{{デフォルトソート:中国の文化|かりよう]]}}
[[Category:技術中国の制度|かりよう]]
[[Category:計測機器|かりよう技術史]]
[[Category:秦漢|かりよう計測機器]]
[[Category:漢朝]]