「縁故主義」の版間の差分

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'''縁故主義'''(えんこしゅぎ)または'''ネポティズム'''(nepotism)とは、親族や地縁・血縁などの縁を持つ縁故者を重用し、する思考。権力者は縁故者を自らの側近や部下として配する事。また、親族を閣僚や大企業のトップに配置し私欲を満たしたり、裏切りを回避しようで知られ考え方の事。[[社会学]]の分野においては、同じ[[共同体|コミュニティ]]に属する人間の意見を尊重し、排他的な思想に偏る'''内集団偏向'''の事を指す。
 
== カトリック教会における縁故主義 ==
== 由来 ==
中世ヨーロッパの[[カトリック教会|カトリック]]において[[聖職者]]は様々な特権を持っており、[[司教]]や[[修道院長]]といった上級の聖職者は、世俗諸侯と変わらない権力を持っていたが、結婚し、跡継ぎの子供を作る事は認められていなかった。このため、親族の子供(甥)に様々な便宜を与えたり、実質的な後継者とする事が行われ、これをネポティズム(nepotism)<ref>nipote<伊>=甥、姪、孫。< <羅> nepos </ref>と呼んだぶこと始まった。結婚が禁じられていた聖職者は、密かに作った庶子を甥と偽る事もあった。[[ルネサンス]]期になると半ば公然と行われ、代表例が[[教皇]][[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]の庶子、[[チェーザレ・ボルジア]]である。また、[[パウルス3世 (ローマ教皇)|パウルス3世]]も実の孫[[アレッサンドロ・ファルネーゼ (枢機卿)|アレッサンドロ・ファルネーゼ]]を14歳にも関わらず[[枢機卿]]に任命した。
 
[[1692年]]に教皇[[インノケンティウス12世 (ローマ教皇)|インノケンティウス12世]]が勅書「ロマーヌム・デチェット・ポンティフィチェム」(Romanum decet Pontificem)を発布し、教皇が親族に財産や土地、利益を与える事の禁止を明文化した事によりネポティズム、カトリック教会の縁故主義は終焉を迎えた。
 
== 雑学中国の縁故主義 ==
[[科挙]]制度導入後の中国の官僚界では、試験監督となった官僚と師弟関係を結ぶ[[朋党]]が出現し、自らの党を強化するための党争が頻発した。また権力を握った皇帝の[[外戚]]や[[宦官]]も一族を引き立てて権力を掌握することがあった。
 
中国では、[[宦官]]が、自分の親類を養子にするなどの方法で、一族で権力を掌握することがあった。また、中国における[[大家族主義]]では、「寄らば大樹の陰」という諺があるように、一族の出世頭に一族郎党が集まる。また、寄ってくる一族の世話をする必要があり、それを拒むことは、できないのであった。([[福澤諭吉 | 福沢諭吉]]の[[脱亜論]]の必要性の一例)
 
== 社会主義国の縁故主義 ==
党の指導性を重視する[[社会主義国]]では人材登用には上位者の承認と任命が不可欠であるため、[[ノーメンクラトゥーラ]]制による人材登用が行われた。しかし上位者が縁故を優先することが多くなり、縁故主義の温床となった。ルーマニアの[[ニコラエ・チャウシェスク]]政権では特に縁故主義が跋扈し、チャウシェスクの親族が要職に就いた。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[派閥]]
* [[外戚]]
* [[差別]]
* [[汚職]]