「ロヴィーサ・ウルリカ・アヴ・プロイセン」の版間の差分

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ロヴィーサは挫けず、官僚・貴族など[[王党派]]の同調者を募り、[[クーデター]]を謀る事になる。しかし陰謀は露見し、関係者は処刑された。国王と王妃は、議会より厳しく警告された。ロヴィーサは屈辱にまみれたが、それでも[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]の妹としての誇りがあった。失脚したロヴィーサは、スウェーデンの王権復活の望みを息子グスタフに強く託す様になった。
 
[[1756年]]に勃発した[[七年戦争]]にスウェーデンは反プロイセン側で参戦した。これには[[ポメラニア]]の奪回の他、プロイセン王フリードリヒ2世の妹に対する懲罰の意味も含まれていた。しかしスウェーデンは敗戦を重ね、西[[ポメラニア|ポンメルン]]北部の[[リューゲン島]]に押し込まれてしまった。しかも戦争はプロイセン優位に帰し、スウェーデンの敗北は明らかとなった。議会は結局ロヴィーサに懇願し、兄フリードリヒに対する和解を申し出た。ロヴィーサの仲介により和議は成立し、スウェーデンは領土変更なしの和平合意に達した([[ハンブルクの和約 (1762年)|ハンブルク条約]]。[[1762年]]5月)。
 
==息子グスタフの即位==