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'''アブドゥルマリク'''あるいは'''アブド・アルマリク'''([[647年]]-[[705年]]、'''Abd al-Malik ibn Marwan'''、'''عبد الملك بن مروان''')は、[[ウマイヤ朝]]の第5代[[カリフ]](在位:[[685年]]-705-[[705]]。ウマイヤ朝[[中興]]の英主と評価される
 
== 略歴 ==
[[685年]]に父である第4代カリフの[[マルワーン1世]]が死に、カリフに即位する。即位後は[[ムアーウィヤ]](1世)死後から進む[[イスラム世界]]の分裂を抑えるため、軍を動かして反対運動を制圧した。[[692年]]、[[ハッジャージュ]]の率いる大軍がメッカを包囲して、カリフを自称して反ウマイヤ運動を展開していた[[クライシュ族]]の有力者[[イブヌッ・ズバイル]]を殺害し、ウマイヤ朝は再び帝国支配を回復した<ref name=shimada>嶋田(1978)p.17</ref>。対外面においては[[東ローマ帝国]]と戦って領土を拡大したうえ、東は[[イラク]][[総督]][[アル=ハッジャージュ]]、西は[[北アフリカ]]総督[[ムーサー・イブン=ヌサイル]]の活躍により、それぞれ[[シンド]]・[[ソグディアナ]]地方と[[モロッコ]]西部まで版図を拡大した。経済面においては新たに金貨・銀貨を鋳造する。しかし、彼の治世で最も功績が大きにおのは、[[アラビア語]]を[[公用語]]にしたことであは功績のひとつといわれている。しかし、[[キリスト教]]徒を嫌って激しく[[弾圧]]した。[[705年]]、59歳で死去し、後を子の[[ワリード1世]]が継いだ。
 
== 岩のドームの建設 ==
詩作にも優れた教養人で、[[エルサレム]]に「[[岩のドーム]]」を建設している。これらの功績からウマイヤ朝[[中興ユダヤ教徒]]の英主と評価によって神聖視されていた巨岩を覆って建てられた建物であ<ref name=shimada/>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
 
== 出典 ==
*[[嶋田襄平]]「ウマイヤ朝とダマスクス」[[前嶋信次]]・[[石井昭]]編集『世界の文化史蹟第10巻 イスラムの世界』講談社、1978年。
 
{{ウマイヤ朝カリフ|第5代: 685-705}}
 
[[Category{{デフォルトソート:ウマイヤ朝の君主|あふとうるまりく]]}}
[[Category:647年生|あふとうるまりくウマイヤ朝の君主]]
[[Category:705647没|あふとうるまりく]]
[[Category:705年没]]
 
[[ar:عبد الملك بن مروان]]