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|name=アンデウソン・シウバ
|image=Anderson Silva.jpg
|realname=アンデルソン・ダ・シウバ<br />(Anderson da Silva)<ref>http://boxing.nv.gov/2008%20Results/07-19-08%20MMA.pdf [[ネバダ州アスレチック・コミッション]]</ref>
|nickname=ザ・スパイダー(The Spider)
|nationality={{BRA}}
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細長い手足から、「'''ザ・スパイダー'''」(蜘蛛)の異名を持つ。長い手足とバックボーンの[[ムエタイ]]で培った強烈な打撃を武器に長期に渡ってUFC世界ミドル級王者として君臨しており、[[総合格闘技]]における[[パウンド・フォー・パウンド]]の1人と目されている。
 
UFCにおいて、全階級を通じて王座の在位期間が史上最長であり、全階級を通じた王座の最多連続防衛記録及び同イベントにおける最多連勝記録をも有する。
 
== 来歴 ==
サンパウロに生まれ、経済的な理由から4歳の時にクリチーバの叔母の下へ預けられた。クリチーバではカン・アカデミーで[[テコンドー]]を8年間学んだ。その後ムエタイを3年間学んだ後、当時[[シュートボクセ・アカデミー]]に所属していたファビオ・ノグシの下で7年間トレーニングを積んだ<ref>[http://www.kamipro.com/news/?id=1274756382 『kamipro』No.147記事紹介・第五弾! アンデウソン・シウバの知られざる闇と優しき素顔] kamipro.com 2010年5月26日</ref>。
[[2000年]]5月27日、[[Meca World Vale Tudo]] 1の[[ルイス・アゼレード]]戦で総合格闘家デビュー。
 
その後、才能がシュートボクセ会長のフジマール・フェデリコの目に留まり、シュートボクセの本部へ移籍した。
 
[[2000年]]5月27日、[[Meca World Vale Tudo]] 1の[[ルイス・アゼレード]]戦でプロ総合格闘家デビュー。
 
[[2001年]]3月2日、プロ[[修斗]]で初来日し、[[加藤鉄史]]に判定勝ちを収めた。
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2001年8月26日、無敗のプロ修斗世界ミドル級王者[[桜井速人|桜井"マッハ"速人]]に判定勝ちし、タイトル奪取に成功して一気に脚光を浴びた。しかし[[PRIDE]]に参戦するようになり、1度も防衛戦を行うことなく2002年11月26日付けでタイトルを返上した。
 
=== PRIDE・Cage Rage ===
[[2002年]]にPRIDEと契約すると共に、階級を76kg級から84kg級に上げた。
 
[[2003年]]3月16日、[[PRIDE.25]]で[[カーロス・ニュートン]]にKO勝ちを収めてPRIDEで3連勝を挙げたが、6月8日、[[PRIDE.26]]で[[高瀬大樹]]に[[三角絞め]]で1R[[タップアウト]]負け。
 
2003年11月に[[アスエリオ・シウバ]]らと共に[[シュートボクセ・アカデミー]]を離れ、ムエタイ・ドリームチーム(MTDT)を結成するもすぐに離脱(後にMTDTは実質機能していなかったと語っている)。
 
[[2004年]]9月11日、[[Cage Rage]] 8では[[リー・マーレイ]]を判定で下し、Cage Rage世界ミドル級王座を獲得した。
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2004年12月31日、[[PRIDE 男祭り 2004]]で[[長南亮]]と対戦。打撃で優勢に試合を進めていたが、3Rに[[蟹挟|蟹挟み]]からの[[ヒールホールド]]でタップアウト負け。その後はシュートボクセ・アカデミーのフジマール・フェデリコ会長の政治的圧力によってPRIDE離脱を余儀なくされ、主戦場をCage Rageに移す。
 
この頃から親交の深い[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]、[[アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ]]らと共に練習をするようになり、総合格闘技でグラップリング技術を持つノゲイラの手ほどきで、グラップリングのスキルを磨くことで現在の活躍への基盤を作った(もともと柔術は茶帯で寝技のスキルは低くなかったが、[[2005年]]に2人から[[黒帯]]を授与されている<ref>[http://www.lockflow.com/article_view.php?id=1616 Tatame has Anderson Silva Interview] LOCKFLOW.com 2006年8月9日</ref>)。
 
* 2005年8月5日、柔術の師匠でもあるミノタウロこと[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]とは仲が良く、彼が地元で主催した大会「ミノタウロ・ファイト」でボクシング戦を行ったことがあい、KO勝ちを収めている。
 
[[2006年]]1月20日、ハワイで行われた[[Rumble on the Rock]] 8では、[[岡見勇信]]相手に優勢に試合を進めておきながら、両膝をキャンバスについたグラウンド状態の岡見に対して、ルールで認められていない[[ペダラーダ]](グラウンドでの下からの顔面蹴り上げ)を放ってしまい反則負けとなった。
 
=== UFC ===
2006年6月28日、[[UFC]]初参戦となった[[Ultimate Fight Night 5]]で[[クリス・リーベン]]と対戦し、開始49秒で膝蹴りによるKO勝ちを収めた。続く10月14日、[[UFC 64]]のミドル級タイトルマッチ[[リッチ・フランクリン]]を1Rに首相撲からの[[膝蹴り]]連打でKO勝ち、UFC2戦目にして第5代UFC世界ミドル級王者となった。
 
2006年11月には[[カーロス・バヘット]]をリーダーに[[アスエリオ・シウバ]]、[[ビクトー・ベウフォート]]、[[リョート・マチダ]]、[[ニーノ・シェンブリ]]らと共に[[ブラック・ハウス]]に移籍した。
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[[2007年]]2月3日、[[UFC 67]]で[[トラヴィス・ルター]]と対戦、[[三角絞め]]を極めながらの肘打ち連打で一本勝ち。なお、この試合はUFC世界ミドル級タイトルマッチとなるはずだったが、ルターが計量をパスできなかったため、ノンタイトルマッチとして行われた。
 
2007年7月7日、[[UFC 73]]のUFC世界ミドル級タイトルマッチで[[ネイサン・マーコート]]をグラウンドパンチによるTKOで破り、初防衛に成功する。10月20日、[[UFC 77]]の王座防衛戦では[[リッチ・フランクリン]]と再戦。膝蹴りでダウンを奪いTKO勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した同時にノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
 
[[2008年]]3月1日、[[UFC 82]]の防衛戦ではPRIDEウェルター級王者[[ダン・ヘンダーソン]]を[[裸絞|チョークスリーパー]]で破り、ミドル級王座の3度目の防衛を果たし、ファイト・オブ・ザ・ナイトおよびサブミッション・オブ・ザ・ナイトを同時に獲得した<ref>[http://mmajunkie.com/news/3858/silva-henderson-and-leben-earn-fight-night-bonuses.mma Silva, Henderson and Leben Earn "Fight Night" Bonuses] MMAjunkie.com 2008年3月2日</ref>。なお、この試合によってPRIDEウェルター級王座はUFC世界ミドル級王座に併合された。同時にファイト・オブ・ザ・ナイトおよびサブミッション・オブ・ザ・ナイトをダブル受賞した。
 
2008年7月19日、[[UFC: Silva vs. Irvin]]のメインイベントにて[[ライトヘビー級]]デビュー戦で[[ジェームス・アーヴィン]]と対戦。アーヴィンのミドルキックを捕らえた状態から右ストレートでダウンを奪い、開始1分でパウンドによるKO勝ちを収めた。10月25日、[[UFC 90|UFC 90: Silva vs. Cote]]<ではUFC世界ミドル級王座防衛戦で[[パトリック・コーテ]]と対戦。優位に試合を進める中3ラウンドに突如コーテが右膝を脱臼し続行不能となり、4度目の防衛に成功した。
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[[2009年]]4月18日、[[UFC 97]]の防衛戦で[[ターレス・レイチ]]に判定勝ちし、UFC全階級を通じて最多タイ記録となる5度目の王座防衛に成功するとともに、UFC9連勝によりそれまで[[ホイス・グレイシー]]の持っていたUFCの連勝記録を更新した。
 
2009年8月8日、[[UFC 101]]にて、1階級上の元UFC世界ライトヘビー級王者[[フォレスト・グリフィン]]とライトヘビー級契約で対戦。ノーガードで挑発しながらスウェーとダッキングでグリフィンの攻撃を避けつつパンチで2度のダウンを奪い、最後は後退しながらの[[カウンターアタック|カウンター]]の右ストレートでグリフィンをKOし、自身の持つUFC連勝記録を10連勝に更新した。同時にこの試合でファイト・オブ・ザ・ナイトおよびノックアウト・オブ・ザ・ナイトをダブル受賞同時に獲得した<ref>[http://mmajunkie.com/news/15779/penn-griffin-take-60k-while-silva-earns-120k-in-fight-night-bonuses-at-ufc-101.mma UFC 101 bonuses: B.J. Penn and Forrest Griffin take $60K, Anderson Silva earns $120K] MMAjunkie.com 2009年8月9日</ref>
 
[[2010年]]4月10日、[[UFC 112]]の[[デミアン・マイア]]との防衛戦では、5Rを戦い抜き3-0の判定勝ちを収めた。この勝利でUFC最多防衛記録となる6連続防衛を果たすとともにUFC11連勝を達成し、UFCの最多連勝記録を更新したが、試合中のマイアに対する度重なる挑発行為と、後半の消極的な試合運びに対して試合終了後まで[[ブーイング]]が沸き起こった<ref>[http://mmaplanet.jp/archives/1197377.html 【UFC112】アンデウソンに不満爆発、ブーイング鳴りやまず] MMAPLANET 2010年4月11日</ref>。
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{{Fight-cont|○| [[リッチ・フランクリン]]| 1R 2:59 TKO(膝蹴り)| [[UFC 64|UFC 64: Unstoppable]]<br />【UFC世界ミドル級タイトルマッチ】| 2006年10月14日}}
{{Fight-cont|○| [[クリス・リーベン]]| 1R 0:49 KO(膝蹴り)| [[Ultimate Fight Night 5]]| 2006年6月28日}}
{{Fight-cont|○| [[トニー・フリックランド]]| 1R 2:02 KO(肘打ち)| Cage Rage 16: Critical Condition<br />【Cage Rage世界ミドル級タイトルマッチ】| 2006年4月22日}}
{{Fight-cont|×| [[岡見勇信]]| 1R 2:33 反則(蹴り上げ)| [[Rumble on the Rock]] 8<br />【ウェルター級トーナメント1回戦】| 2006年1月20日}}
{{Fight-cont|○| [[カーティス・スタウト]]| 1R 4:59 KOKO(パウンド)| Cage Rage 14: Punishment<br />【Cage Rage世界ミドル級タイトルマッチ】| 2005年12月3日}}
{{Fight-cont|○| [[ホルヘ・リベラ (格闘家)|ホルヘ・リベラ]]| 2R 3:53 TKO| Cage Rage 11: Face Off<br />【Cage Rage世界ミドル級タイトルマッチ】| 2005年4月30日}}
{{Fight-cont|×| [[長南亮]]| 3R 3:08 ヒールホールド| [[PRIDE 男祭り 2004|PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-]]| 2004年12月31日}}
{{Fight-cont|○| [[リー・マーレイ]]| 5分3R終了 判定3-0| Cage Rage 8: Knights of the Octagon<br />【Cage Rage世界ミドル級タイトルマッチ】| 2004年9月11日}}
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== 人物 ==
* 入場時にダンスを披露したり、[[K-1]]がヘビー級しかない(発言当時)ことを知らないまま参戦を熱望していた。
* 柔術の師匠でもあるミノタウロこと[[アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ]]とは仲が良く、彼が地元で主催した大会「ミノタウロ・ファイト」でボクシング戦を行ったことがある。
* [[ボクシング]]世界王者[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]]と、ボクシングルールで対戦することを熱望している。ロイ・ジョーンズもこの対戦に関して意欲的だが、UFCは選手に対して独占契約を結んでいるため、他団体や他競技で試合をすることが許されておらず、いまだにこの対戦は実現していない。また、ロイ・ジョーンズが「MMAルールでも構わないからアンデウソンと対戦したい」と言ったが、UFC社長の[[ダナ・ホワイト]]はこの対戦には否定的である。また、アンデウソンはボクシングルールの実績が皆無なため、10回戦マッチ出場のためのボクシング・ライセンスを持っていないこともあり、ロイ・ジョーンズ戦の実現は困難な状況にある。
* 元同門のヴァンダレイ・シウバのミドル級転向に対しては否定的である<ref>[http://www.sherdog.com/news/articles/anderson-criticizes-wanderleis-move-to-185-16947 Anderson Criticizes Wanderlei’s Move to 185] [[SHERDOG]] 2009年4月10日</ref>。
* ミドル級であまりにも強すぎるため、階級を[[ライトヘビー級]]に上げて試合をすることもある。しかし、現在のUFC世界ライトヘビー級王者[[リョート・マチダ]]とは仲が良いこともあって、「ライトヘビー級世界最強はリョートだよ。友人である彼と戦うことは無い」とコメントしている。だが、ダナ・ホワイトは「最強を決めることと友情は無関係だ。友人同士だから戦えないというのであればファイター失格だ」と常々明言しており、アンデウソンvsリョートの試合の実現も目指していくとコメントしている。
* [[ヴァンダレイ・シウバ]]とは、[[シュートボクセ・アカデミー]]時代に同門だった頃には友人だったが、現在では対立関係である。アンデウソンがシュートボクセを離脱した時、フジマール・フェデリコ会長の圧力によりアンデウソンは[[PRIDE]]離脱を余儀なくされた。当時を振り返って「あの時、ヴァンダレイは何も手助けしてくれなかった。私は4人の子供を育てる義務があることも知っていたのに酷いもんさ。もしアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが助けてくれなかったら私は廃業するはめになっていただろう」と語っている。その後、ヴァンダレイのUFC復帰戦となった[[UFC 79]]では試合前の控え室で両者は握手をかわしたものの、その後アンデウソンが王者として君臨しているミドル級にヴァンダレイが転向してくることが決定し、再び関係は悪化。アンデウソンはヴァンダレイに対して「どういうつもりだろうね? なぜ自分で自分の首を絞めようとするんだ?彼のミドル級転向はナメくさっているとしか思えない」とコメントしている<ref>[http://www.sherdog.com/news/articles/anderson-criticizes-wanderleis-move-to-185-16947 Anderson Criticizes Wanderlei’s Move to 185] [[SHERDOG]] 2009年4月10日</ref>。
 
== 脚注 ==