「ヒスパニア・バエティカ」の版間の差分

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第二次ポエニ戦争後、ローマをこの地域を属州とした。当初はイベリア半島の属州は南方「'''ヒスパニア・キテリオル'''」と北方「'''ヒスパニア・ウルステリオル'''」という名で分割されていた。そして[[紀元前14年]]、[[アウグストゥス]]のローマ領再編で、イベリア半島の属州は3分割されて現在の「'''ヒスパニア・バエティカ'''」となった。なお、州都は[[コルドバ]]に置かれた。
 
帝政時代にはこの属州はローマの中でも裕福な属州のひとつとなり、裕福な中流階層を生み出し、彼等のもとで[[解放奴隷]]などが活躍する土地となった。またこの土地は安全で軍隊の駐留はなく、ローマ軍は東隣の[[ヒスパニア・タッラコネンシス|タッラコネンシス]]に駐在するのが普通だった。また経済力の隆盛を背景に皇帝[[ウェスパシアヌス]]の治世には彼等の支持基盤を築こうと「投票権なしのローマ市民権」をこの地域の自由民全員に与えている。そして、初の属州出身皇帝[[トラヤヌス]]、続いて甥の[[ハドリアヌス]]がこの地から登場する。しかしながら、[[409年]]になると[[ヴァンダル族]]に蹂躙され、ローマの属州ではなくなる。これ以降、東ローマによる再支配(スパニア属州552-624)の期間を除くと、[[ゲルマン人]]の支配者を仰ぐこととなる。
 
==西ローマ滅亡後==