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{{MedalBronze|[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|1984]]|スプリント}}
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'''坂本勉'''('''さかもと つとむ''' [[1962年]][[8月3日]]- )は、日本の[[競輪選手]]、[[自転車競技]]選手である。現在の[[青森県]][[三戸郡]][[南部町 (青森県)|南部町]]出身。[[日本競輪学校]]第57期卒業。日本競輪選手会青森支部所属。師匠は実兄の[[坂本典男]]。初出走は[[1986年]][[5月10日]]の[[青森競輪場]]で初勝利も同日。[[血液型]]はO型。日本競輪学校第

同県所属94期生の[[坂本貴史]]の実父であり師匠。
 
==自転車競技での戦績==
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そしてトップクラスのS級でも実力を遺憾なく発揮し、[[1989年]]には[[オールスター競輪]]で特別競輪(現在の[[競輪の競走格付け#GI (G1)|GI]])初優勝を果たす。そして[[1990年]]には[[KEIRINグランプリ]]を制して2年連続の賞金王となり競輪の頂点に上り詰めたが、このしばらく後から持病の[[腰痛]]に悩まされるようになり、そのため自らの時代を築き上げる所までには至らなかった。
 
しかし40歳を越した現在でもGIに出場しており、するなど息の長い活躍を続けており、[[2010年]]には実子である坂本貴史がS級に昇格したことから史上2組目となる親子同時S級在籍を達成し、同年9月のオールスター競輪におては史上初とな親子同時GI出場も達成した
 
==主な獲得タイトルと記録==
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*年間賞金王2回 - 1989年、1990年
*最多連勝(31連勝) - 1986年
*坂本貴史との親子同時記録
**S級在籍 - [[2010年]]より
**特別競輪出場 - 2010年オールスター競輪
 
==競走スタイル==
圧倒的な先行力は『'''ロスの超特急'''』とあだ名されたほどで、当時の[[中野浩一]]が番手で追走して追い込んでも届かなかったことがある程の実力を誇っていた。
 
しかし腰痛により成績が低迷してからは、一時期自在や追込への戦法転換を図ったこともあったが、元通りの先行に戻してからは復調したため、同じ地区に大勢の若手先行選手がいながら自ら先行主体で戦い続けた。現在は年齢的な面から追い込み主体りつつあるったが、重鎮的存在であっても年齢を感じさせないことから、選手仲間からも尊敬を受けている。
 
== 脚注 ==